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歴史・宗教

終戦の日

台風の中迎えた、終戦の日。全世界の亡き方々の為、今も苦しむ遺族の為、二度と戦争を起こさないという、主権者国民の1人としての決意の為に主なる神に祈りを捧げたい。

キリストの御恵み

長らく記事が滞り、更新できておりませんでした。

 

その間、私の信仰のあり方に疑問をぶつけてこられた方もいます。

私は、万人救済の希望を抱く者です。

唯物論者を自認するその方自身も、皇室も、私が今厭って已まない安倍首相と

その配下の人々も、皆ひとりひとり全てに

主イエス・キリストの御救いが及ぶことを祈っています。

 

非難はこれまで、既に数多く受けてきました。

偽クリスチャン、「日本的」基督者云々。

それでも祈り続けます。

 

 

陛下の御辛苦に感謝して

天皇陛下が、今日17時過ぎ、退位を正式に、
内外に宣明された。

まもなく、平成の御代が終わる。

この30年間、まさに全身全霊で
天災などの罹災者を慰め、
過去の戦禍でむごたらしく亡くなられた方々を慰霊され続けた。

平成の30年、決して「栄ゆる安けき御代」ではなかった。大震災、近年の惨めなまでの政治の堕落などきりがない。

しかし、そんな中、陛下は懸命に
御自身に課せられた責務を果たされた。

国民の一人として、心から感謝申し上げたい。そして、陛下を一人の人間として、尊敬していることも述べておきたい。

また忘れてはならない。
陛下も私達の尊い隣人であり、
主なる神の御慈愛の対象であるという事を。

主イエス・キリストの十字架での死を覚えて

今日は、キリスト教では、「受難週」でとりわけ重んじられる日、金曜日です。
主イエス・キリストが人々に嘲りを受けつつ、十字架にかけられ、むごたらしく殺されていったまさにその日が金曜日でした。

主はその死に至るまで、ひたすら肉体の苦しみと、御自分が救おうとされている人々自身から浴びせられた嘲笑を耐え忍ばれました。

私は信じます。
その死が、過去、現在、未来、
全ての人のあらゆる罪を贖う為の死であったことを。

さまざまな議論があります。
⬆︎に反対の論もあり、
寧ろ私の属する教派の流れでは、
「全ての人の為」ではない、との主張が
主流だったと言って良いでしょう。
しかし、私は自分の真情として、
あらゆる人々の救いを切実に願い求め、祈ります。

また、自らの為にも祈らざるを得ないのです。
ツイッターに記した私の言葉。
「愛なき我に愛を。肉慾のみの我に聖潔を。
殺意に満ちた我に仁慈を。」と。

今日もさまざまなことがありました。
眼前の隣人の為に心密かに祈るのが
「こんなに苦しいことなのか」と思わされました。

父なる神さま。どうか私を、
私達を憐れんでください。
そして、主イエス・キリストが
お受けになった凄絶な苦しみと死に
思いを馳せつつ、
今日一日を歩むことができますように。

信仰、そして世事

まもなく、今上陛下が譲位され、皇太子殿下が
践祚される。正式な即位の礼は確か今年の秋だったはず。

先日、教会の話で、天皇の為の祈り、の可否につき
話題があった。私自身の考え、結論から言えば、
憲法に、権威の源泉である私達主権者国民を統合する象徴と定められている方は、間違いなく権威である。
そして権力自体は私達国民が民主的に選んだ代表者たちが行使する。
その代表者たちの現状は惨憺たるものだが。
毎日毎日、憤ることばかりである。

私はこの国、世界で権威、権力を帯びている
あらゆる人々の為に祈る。天皇陛下の為にも、
1日も早く下野して欲しい安倍首相の為にも、
チベット人、ウイグル人を迫害している習近平の為にも。義理の叔父、実の兄を殺し、現在まさに基督者を残虐に迫害、殺戮、殉教に至らしめているという金正恩の為にも。

陛下、また権力者たちがそれぞれの国民に奉仕できるように、と。政治の堕落、権力の恣意的行使、民衆の抑圧、ましてや皇帝ネロやディオクレティアヌスのような所業に至っているなら、彼等が悔い改めに導かれるように、と。

私の思想は保守思想とリベラル思想の混雑である。
政治的には現行憲法を1条から全て守る、との立場である。

近代天皇制により「作られた伝統」が数多くあるのは
僅かながら知っているつもりだ。
3月21日、春分の日が宮中祭祀の「春季皇霊祭」の日であることも。明治になって作られた祭祀である。
あくまで皇室の方々の私的信教であるべき祭祀に伴い、
国民も休みとなっているのだ。

私の属する教会も、難問山積である。
先日日曜日、本当に悲しく辛いことがあった。
信徒の方の支え、力になれなかった。
これからもあるかもしれない。

そして、御高齢の信徒の方には、まさに今、
病と激しく苦闘しておられる方がいる。
主イエス・キリストの「人にはできないことも、神にはできる。」の御言に縋り付く思いで祈っている。

主イエス・キリストは、私の罪全てを十字架で負い給うた。それなのに、一向に聖潔に至れない私。

教会での会議の度に、中国宋代の「伴食宰相」という言葉を思い出す。朝廷の会議ではまともに自分の意見も出せず、席上での御馳走にだけあずかっていた一宰相への皮肉である。

私は弱い。本当に弱い。日々、喜びよりも
憂いと不安ばかりである。

そんな私だからこそ、祈る。
主の御導きと御守り、御慈愛を。

祈りと感謝と 憂いを込めつつ

2018年・平成30年もまもなく終わりを迎えます。
来年は今上陛下の御譲位があり、そして新帝陛下の御代が始まります。

今年はひどい年でした。政治の度し難い腐敗に
多くの天災。東日本大震災の被害者は置き去りにされつつ
五輪だ、万博だ、カジノだと騒がしい限りです。

私自身にとっても酷い年でした。
心身の悪化(糖尿病、強迫性障害、躁鬱病)により、
仕事に通うのがやっと、職場で錯乱しかける所を必死で抑えに抑え
やっと仕事を続けた日もあります。
帰宅の時は足を引き摺るようにしてやっとバスに乗り込み、鞄に入れた
聖書や説教集、或いは漫画で15分ほどの道のりで辛うじて心を慰める。
そんな日の繰り返しでした。

他者への悪念、怨嗟で信仰が危うくなったことが何回も何回もありました。しかしです。
主なる神は、そんな私を今日まで生きながらえさせてくださいました。
両親、妹、教会の兄弟姉妹、職場その他の場の方々が私を支え、励ましてくださいました。
感謝のほかありません。


同時に、私がいつもやりきれなくなることがあります。
寿命による死ではない、「自死」です。

先日、他ならぬ私の築33年の古いマンションから一人の女性が飛び降りて自死しました。
毎日のように「人身事故」と称される、電車への飛び込みによる自死が起きています。


私は、そういった報に接する度に祈ります。その人々の救いを。
自死せざるを得ない迄に苦しみ、追い詰められた人々の救いを。
基督者が彼等彼女等の為に祈らずして、誰が祈るのでしょう。

そして、肉親、「善きサマリア人」たる職場やその他の場の人々、更にこの国、世界で
主イエス・キリストの愛を知らない人々の為にも祈ります。
既にこの世にはいない祖父母、先祖、過去の戦争で無惨に命を奪われた
何千万人もの人々の為にも祈ります。
主が、地上で苦しみと絶望の果てに死んでいった人々の涙を拭い給い、
その深く広い愛で人々を包み込んでくださるように、と。
この地上では主を信じることの無かった人々が、あの世では
真の神なる主を知ることが出来るように、と。

基督者の端くれである私の人生は、「ノン・クリスチャン」である無数の「善きサマリア人」によって
支えられています。日本人の99%です。

私は内村鑑三と同じく、万人救済の希望を抱いています。切実にそのことの実現を
主に祈り求めます。


主イエス・キリストの御恵みの、願わくば凡ての人とともにあらんことを。

祈りと願い

祈りを捧げます。
天にまします慈しみ深き主イエス・キリストの父なる神さま。
昨日、我国は悲惨な戦争に敗北してから73年目を迎えました。

我国で、そして我国が惨害を齎した諸外国で
余りにも多くの生命が喪われました。

どうか、その人々の苦しみ、絶望、恐怖、涙を御許にて
拭い去ってください。地上に遺された人々の悲しみを癒してください。
そして、生命を落とした人々と地上に遺された人々が御許にて
喜びのうちに再会することができますように。

我国は、私たちは余りにも多くの罪を犯しました。
平和を愛する同国民、そして諸外国の人々に対して。
御前にひれ伏して祈ります。どうか我等の罪をお赦しください。
あらたにあなたに在って平和を愛し、その実現に向けて日々たゆまず尽力する国、国民と
ならしめてください。永久の平和を我等に、この世界に来たらしめてください。
この祈り、主イエス・キリストの聖名を通して御前にお捧げ致します。
アーメン。

矢内原忠雄「田村清君のクリスマス」

家貧にして孝子現はれ、
国乱れて忠臣現はる。
身貧しくして病み
土の器保ち難くして、
恩恵の宝珠光を放ち
福音の力は鮮かである。

北海道登川の奥谷地に住む
日傭稼ぎの子の日傭稼ぎ、
年僅か二十一、結核の
病膏肓に入りて完き処なけれど
救はれし生命五体に溢れ
歓喜の歌は抑へられなかつた。

今日しも待ちに待ちしクリスマスは
登川病院の一室にて開かれる。
雪降り積りて膝を没し
風寒うして膚を刺すが、
心は既に楽しき群に走せ
母に支へられて彼は家を出た。

半里の山路やうやく辿りて
目ざす町の灯眼をよろこばせ
主の名によりて集ふ三、四人の友の
彼を待つ家も手近であつた。
その時早く彼の力は尽きて
崩るる如く雪の中に倒れた。

通行の者急を報じて
馳せつけた父に彼は背負はれ、
親子三人の涙点々と
踏む白雪にあとを残しつつ、
坂を上つて己が小屋に帰り
星を板壁の隙間から仰いだ。

其夜教会堂は美々しく飾り、
紳士淑女又奢れる児等
音楽に劇に花やかであつた。
その騒がしき世俗の音に、
ナザレのイエスは立ち入るに躊躇し
幾つもの門を素通りにした。

而してイエスは雪に埋れし
田村清の側に馳せ寄り、
母よりも早く彼の頸を抱へ
父よりも早く彼を背に負ひ、
しかと彼を守りてその小屋に導き
夜の明くる迄彼と共にあつた。

ベツレヘムの馬小屋に
イエスの生れ給ひし夜輝いた星が
その夜彼の小屋の上に輝いた。
彼の心は平安にみちて天かけり、
力尽きし身にさへ生命溢れて
軽く浮き上るかと思へた。

イエスはおのれを信じたる者の
かく貧と病との中に
生命の勝利を喜ぶを見て、
おのが生れし日を彼と共に祝し
父なる神に感謝し給うた、
かくて平和と栄光彼の小屋に満ちた。

矢内原忠雄『信仰と人生 キリスト者の信仰Ⅶ(岩波書店)より。

汚穢下賤の身にして

実に久しぶりの書き込みになります。
何か月ぶりでしょうか。

「汚穢下賤」。
私の尊敬してやまない矢内原忠雄の聖書講義『イエス伝』に出てくる言葉です。

『イエス伝」では「この汚穢下賤の身が神の子?」という驚愕と感謝が
信徒の口から発せられます。

肉欲、穢れ、悪念。私の毎日はそれらに満ちています。
その全てを公にされたら、私は社会人生活は到底続けられないでしょう。

そのような罪人の首(かしら)ですが、今日、一週間の仕事を終えることができました。
感謝の他ありません。酷暑の中の仕事でした。
自らの力だけでは一日たりとも生きていけません。
だから感謝します。

主なる神の御守り、御導きに。隣人からの助力、支えに。

そのような土曜日の早朝、出勤前に、北朝鮮がまたもミサイル実験を行ったと知りました。
遥か上空3000㎞にまで打ち上げられたミサイルは、奥尻島の沖に落下した、と。

私は、一般人民を虐げながら暴虐、圧制の限りを尽くすかの国の独裁者、
その取り巻き、「絶対随順」する特権階級を、そしてこの日本にあって
陰に陽に北朝鮮を庇う人々を憎まざるを得ません。

しかし、基督者には、このような時こそ、愛と赦しが求められます。

「なんとまだるっこしい!」との叫びが聞こえてきそうです。

そう、他ならぬ私がそう叫んでいるのです。
しかし、この道が、主イエス・キリストが信徒に求め給う道なのです。


北朝鮮のこと

心憂きことである。

残虐な独裁者・金正恩と、恣意のまま動く大統領トランプ。

言わずもがなだが、戦火が起きれば、数多の人間が命を喪う。
我国においても。

私にとっても、自らの生命だけでなく、信仰、非戦主義の試練の時である。

平和な時に非戦主義を叫ぶのは容易いのだ。
戦時に於いてなおそれを貫くのがどれだけ難いことか。

 「いのり」
       矢内原忠雄

主よ、いまだ
御救ひは?
地荒れて
人は叫べり。

西のかた
夕焼す、
主よ、戦を
終らせ給へ。


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