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アニメ・コミック

菅野マナミさん作『ひまわりさん』第5集

最近とにかく疲れているのですが、そんな私に癒しをもたらしてくれる良作の漫画を紹介します。

菅野マナミさん作『ひまわりさん』第5集(メディアファクトリー)です。

主人公といえる女子高校生まつりと、
彼女が慕ってやまない、とある書店の若き女性店主「ひまわりさん」の交流を中心に描いていく作品です。

登場人物皆に、相手を思いやる優しい気持ちがあり、それが温かな展開を生み出しています。
どの話も温かさと共にほんの少しだけ哀感も混じっています。

私が今回とりわけ好きだったのは、第5集最後のお話でした。

写真家になる夢を抱きつつ、夢を実現できなかった女性、あやめさんと
「ひまわりさん」の心の触れ合いを描いたものです。

物語だけでなく、丁寧で綺麗な絵も魅力となっています。

書店には余り数を置いていないようですが、興味を持たれた方は是非ご一読ください。

佐々木ミノルさん『中卒労働者から始める高校生活』(日本文芸社)

久しぶりに漫画の紹介を。

佐々木ミノルさん『中卒労働者から始める高校生活』が、苦しみの中あがく人間に光をあてていて素晴らしいです。中学校を卒業して妹の生活を支えるため就職した主人公。露骨な学歴差別と貧困に苦しみます。そんな彼が通信制高校を通じて美しい「お嬢様」と巡り合います。「お嬢様」も心に苦悩を抱えていて・・・。

生活苦がどれだけ人を荒ませるか。そしてその荒みから立ち上がる人間の雄々しさ。性的なきつい描写もありますが、お薦めします。

桐原いづみさん『サボテンの娘』(双葉社)の紹介 「あーあ 人生って世知辛いなあ」

今日は、中日新聞でも紹介された良き漫画作品の紹介を。

桐原いづみさん『サボテンの娘』(双葉社)です。

物語は昭和60年6月15日から始まります。主人公の家村優子は12歳、小学校6年生。父がサラリーマン、母が主婦、祖父母が農業の、名古屋市郊外の大きな家に住んでいる少女です。変わっているのは、父がサボテンマニアで、「サボテンの娘」「サボ子」とあだなが付くくらいに家の庭が大小さまざまのサボテンであふれ返っていること。ただ、不思議とサボテンが農家の庭に調和して違和感があまりないのですが。

物語は今のところこれといった大事件はありません。しかし、日々の生活の中での親子の愛情、すれ違いが細やかに描かれていきます。家事と農業の手伝いで多忙な母親に

「今お茶飲んでたじゃん!休んでたくせに話もきいてくんないし・・・忙しいなんて嘘つきじゃん」

と苛立ちをぶつけてしまう優子。この辺りは作者の人生が良く生かされていますね。平凡に見える日々にも、そして小学生にも哀歓があり、「あーあ、人生って世知辛いなあ」と語らざるを得ない時があるのです。

優子と友達の真由美、香織との交流も、子どもの良き面が(人間ですから負の面もあることでしょうし、自らのそれと格闘せざるを得なくなるはずですが)丁寧に、蚊帳の中での語らいなどを通じて描かれています。「嬉しくて泣きそう」になる真由美の描写はとりわけ良い所です。

「ツッパリ」である隣家の女子中学生ちかちゃんも、ツッパリの姿で見えなくなっている素直な心を持っています。作者の人間と郷土への愛情が感じられる作品です。

ご一読をお薦めします。

ちなみに「ノストラダムスの大予言」に優子がおびえていましたが、小学生だったわたしも「死ぬの怖いな」と深刻に悩んだ記憶があります。

知り得て良かった漫画 アミューさん作『この音とまれ!』(集英社)

今日は少しは明るい話を。

わたしの好きな漫画であるアミューさん作『この音とまれ!』(集英社)の第5巻が先月発売されました。さまざまな辛さ、苦しさ、みじめさを、登場人物たちが乗り越えていく物語です。その中核にあるのが琴。

悪名高い不良だった久遠愛、いじめを受けながらたった一人で筝曲部を支えようと孤軍奮闘する倉田武蔵、琴の家元の娘として重圧に苦しんだ鳳月さとわといった男女の高校生たちが、筝曲部で真正面から思いをぶつけ合いながら成長していきます。

よほどの類稀な天才でない限り、作者自身の人間観、人生観、倫理観は自ずと作品に反映されるというのがわたしの考えです。その意味で、作品を世に送り出してくれる作者に敬意を抱くことができる、そういう作品に出会えたことを幸せに思っています。つらいことも多い中、わたしにささやかな喜びをもたらしてくれる作品です。

「私はいつだって自分のことばかりだ」

わたしの大好きな漫画、菅野マナミさん作『ひまわりさん』(メディアファクトリー』の第2集に
物語の中心にいる女性、小さな書店の店主である「ひまわりさん」の回想場面があります。
凛とした聡明な女性の「ひまわりさん」ですが、当時まだ高校生の彼女は自分を見つめて思います。

「私はいつだって自分のことばかりだ」と。

「好きなものもやりたいことも無いし
自分がどうするべきかどうしたいのか
自分のことなのにわからない。
でも誰かに迷惑は掛けたくなくて・・・」と語る「ひまわりさん」に
薄命の佳人「先代ひまわりさん」はこう言うのです。

「・・・しかしそれを言ったらわたしは色んな人に迷惑掛けちゃってるなあ。
・・・辛いことがあっても嬉しいことや楽しいことがあるから生きてんだ。
私は毎日楽しいよ。ここに居られる。それが嬉しい。

お前が働いてくれるおかげだよ。ありがとう。」

「先代ひまわりさん」が若くして世を去った後、この世にのこされた高校生の「ひまわりさん」は
「私はいつだって自分のことばかりだ。だからずっと周りの人を見てなかった。
私のことを想ってくれる人達に気づけなかった」と気付いて自分の「やりたいこと」を見出します。
「・・・私、ひまわりさんになりたいんです!」。

漫画の人物から、その言葉からもこのわたしが見失っているものを教えられます。

「私は毎日楽しいよ。ここに居られる。それが嬉しい。」
このような感謝、罪ある自分でも今日また生かされたことに感謝する、
それがこのわたしに求められる姿勢なのでしょう。

ささやかな喜び

さまざまなことを考えるこの頃ですが、ささやかな喜びもあります。

今日、友藤結さん作の漫画『星降るまきば!』『幾星霜の夜を越え』(白泉社)、とアミューさん作の漫画『この音とまれ! 第4巻』(集英社)を買うことができました。内容は実際に読んで頂きたいのですが、物語に深く感じ入るとともに、それを創った作者に敬意を抱くことの出来る作品に出会えたことを幸運に思います。先日語った菅野マナミさん作の漫画『ひまわりさん 第4集』と共に、お奨めする作品です。

嬉しかった事

今日、菅野マナミさん作の漫画『ひまわりさん 第4集』(メディアファクトリー)を入手できました。
ありがたいことです。

心に静かに静かに染み入っていくお話が幾つも綴られています。
実際に第1集から読んで頂ければと思います。
享安山人、お奨めの漫画です。

嬉しかったこと

まず月曜日、大阪堂島の大手書店で坂本虹さん作・桐原いづみさん画『群青』第3巻をようやく入手できたこと。

日曜日まで後2日ですが、辛いことの多々あった今週の仕事を続けられていること。

そして今日、あみゅーさん作『この音とまれ!』第3巻を入手できたこと。

真っ直ぐに、馬鹿正直に人間の中にある尊ぶべきものを打ち出す作品を読みたい。
創作物では特に。人間の醜さ、軽さは今の現実と過去の歴史でもう沢山だという思いが
最近とりわけつのってきました。人間をただ軽く茶化して扱うもの、斜めに構えるだけのもの、
暗い感情をつのらせるだけのもの、
「どうせ」「所詮」「ま、どうでもいいでしょ」
「現実ってそんなもん」「そうむきになりなさんな」そういう言葉にはもう飽きました。
人が現実の辛苦に真っ向から向き合わない時、ただやりすごそうとする時
そういう言葉の羅列が口から出てきます。ほかならぬ私自身もそうでした。
しかし醜い現実の中にも生きるに値するものは見出せます。

ひたむきに生きることに努力する人々の姿を見たいのです。

遊行寺たまさん作『+C sword and cornett』の番外編が連載開始です

私が何度かご紹介した遊行寺たまさん作『+C sword and cornett』の番外編が
一迅社のホームページにある『ZEROSUMonline』で連載開始です。

今回は、主人公ベルカ王子と行動を共にした先住民ホクレアの女戦士・新月が
主人公です。詳しい内容は該当箇所で。閲覧無料です。

私はできれば本編中でベルカ王子と彼女が結ばれて
アゼルプラード王国と先住民ホクレアの和解の象徴になることを期待していたのですが・・・。
今の所彼女の相手となる男性は不明。
普段は冷たい表情をしており、自分たちを迫害する人々には厳しい憤りを示しますが
稀に見せる笑顔がすてきな女性です。

アゼルプラード王国と先住民ホクレアの将来が明るいものであって欲しいと
そしてこういうこういう良質の物語がもっともっと知られればと、ファンの一人として願います。

作者の遊行寺さんのブログで、作品舞台のモデルの一つが
ドイツのハイデルベルクだと知り嬉しい驚きです。
学問文化の街であり、そして宗教改革の拠点の一つでありました。

主人公の兄・オルセリート王子が立太子式を挙げた大聖堂のモデルが
ハイデルベルク聖霊教会だそうです。


遊行寺たまさん『+C sword and cornett』の言葉「汚れた血」について

今日は私の大好きな、遊行寺たまさん作のファンタジー漫画
『+C sword and cornett』(一迅社)にある言葉について
自分の先祖のことを連想させつつ真面目に考えてみたいと思います。

主人公の異母兄・オルセリート王太子は、
「王朝の開祖『英雄王ライツ1世』が天より降臨し、騎士たちと共に
禍々しい者どもを平定し民衆に楽園をもたらした」という建国神話が全くの虚偽であることを知り
深く苦悩します。

「英雄王」の実態は、別世界の凶悪犯罪者でした。囚人として護送される途中に
祖国の滅亡に遭い、最初は生き延びるために協力していた護送船の船長を惨殺、
そうして手に入れた先進的な兵器、技術でたどり着いた地の先住民を殺戮、奴隷化し
囚人仲間とともにきらびやかな王朝を築き上げるのです。
自分たちを正当化するために「教会」まで作り上げます。
王は神に選ばれた存在、否、王こそが神そのものなのだと。

「僕が学んだ歴史は全て偽りだったというのか」
「自分の血は汚れている」と思い込むオルセリート王太子。
誇り高い王族として拠って立つ基盤は祖宗の光輝ある事績、そして自分の体に
その血が流れているという「事実」でした。それが虚偽だったと知って以降、
オルセリートは暗殺された兄の復讐のため、そして自分自身の血を呪うがあまり
兄暗殺の真犯人である元老たちへ陰惨な謀りごとを巡らします。

一方、主人公ベルカ王子も祖先の所業を同じく知るのですが
ベルカは宮廷奥深くで己の心をどんどん闇に追い遣っていくオルセリートと違い
先住民「ホクレア」や、王朝の腐敗からもたらされる圧制に苦しむ国民と直に向き合って
「なんとかしないと」とあがくのですよね。悩むより前に、まず眼前の人たちを救おうと行動します。

「汚れた血」。この言葉にぎょっとされる方もかなり多いと思います。
言うまでも無く我国で被差別部落の人たちに浴びせられた言葉でした。
誰かが携わることを求められる皮革業、その前段階である牛馬の死体の処理、
死刑執行に伴う諸々の雑務を「穢れ」として担わされて。

かの大作、『風の谷のナウシカ』でも、皆さんご存知かもしれませんが
原作の漫画版では他ならぬ主人公ナウシカが
「汚れた蟲使いたちを・・・!」とトルメキアの将兵が「蟲使い」を風の谷につれてきたことを
憤り罵っています。むろん宮崎駿さんは歴史を十二分に承知で
主人公ナウシカにすらある差別意識を浮き彫りにしているのですが。

物語最後、たとえ先祖が血塗られた所業に手を染めていようとも
自分たちは今やれることをやるだけだとベルカとオルセリートは前へ歩みだします。
王として玉座に登ったのはオルセリートでした。
王府に留学しに来たホクレアの少女「大巫女」が妹ミュスカ内親王と遊んでいるのを聞きながら
「にぎやかだね」と微笑むオルセリート新国王。そんな兄を支えるベルカ。

自分としては、実は徐々に雄々しく「帝王の器」となっていくベルカに即位して欲しかったのですが。
弟に位を譲り、謀略、詐術から退いてようやく安息を見出すオルセリートの姿も見たかったですね。

作中、オルセリートは自分もいつしかライツ1世と同じく手を血で染めていることに絶望し
せめて最後は弟の手で人生を終えようとベルカに剣を向けるのですが、

「ここは、寒くて・・・」「君の手をとってそっちへ行きたくなる」
「でも、だからこそ、君の居場所を守らねば」

と心のうちで叫びます。
余りにもいたましい、しかし弟への情愛がにじみ出ている、私のとりわけ好きな場面です。

歴史を見れば分かりますが、いかなる人にも、その先祖を辿れば
あらゆる種類の人間がいます。崇高な心の持ち主もいれば
唾棄すべき人間もいます。清らかな血統も汚れた血統もありません。

「人間(じんかん )に異なる」とされた皇室の方々も例外ではありません。
承久の乱の折、ご自身が発せられた北條義時追討の院宣を、側近が勝手にやったことと翻し
院宣に従ったまでの忠臣たちを今度は逆賊として追討せよと
他ならぬ北條軍に命じて保身を図る後鳥羽上皇。
一方その子・土御門上皇は陰謀に無関係だったにもかかわらず、
父と弟が遠島に遷されたのに自分ひとり都に安穏としているのは忍びないと
自ら遠国への動座を幕府に申し出るのです。それは愛する后妃、皇子皇女、
忠臣たちとの生きながらの永訣を意味するものでした。

この享安山人にも、同じく畏敬すべき先祖もいれば唾棄すべき先祖もいたでしょう。
ただ、先祖が何をやり、何を考えたかを具体的に知るには、私の先祖の身分は低すぎました。
寺の過去帳を見ても江戸時代の宝暦年間までしか遡れないのですよね。
先祖の言動、事績を伝える文献は何もありません。

亡き祖父は生前私に「農地解放が何よりうれしかった」と語っていました。
東北の寒村の小作人だった祖父です。
まさに「名も無い平民」だったご先祖たち。
かつてその地・秋田県の刈和野で行われたキリシタン処刑を目の当たりにしたであろう
名も無い平民、殉教する信徒に或いは嘲り、罵りの言葉を浴びせたかもしれない人、
或いは棄教を余儀なくされたかもしれない人の
末裔の一人が今はキリスト教を信じるようになっています。

主の御恵みの、すべての人にあらんことを祈ります。
聖書にあるその御言が実現する日の来ることを信じつつ。
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