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主イエス・キリストの十字架での死を覚えて

今日は、キリスト教では、「受難週」でとりわけ重んじられる日、金曜日です。
主イエス・キリストが人々に嘲りを受けつつ、十字架にかけられ、むごたらしく殺されていったまさにその日が金曜日でした。

主はその死に至るまで、ひたすら肉体の苦しみと、御自分が救おうとされている人々自身から浴びせられた嘲笑を耐え忍ばれました。

私は信じます。
その死が、過去、現在、未来、
全ての人のあらゆる罪を贖う為の死であったことを。

さまざまな議論があります。
⬆︎に反対の論もあり、
寧ろ私の属する教派の流れでは、
「全ての人の為」ではない、との主張が
主流だったと言って良いでしょう。
しかし、私は自分の真情として、
あらゆる人々の救いを切実に願い求め、祈ります。

また、自らの為にも祈らざるを得ないのです。
ツイッターに記した私の言葉。
「愛なき我に愛を。肉慾のみの我に聖潔を。
殺意に満ちた我に仁慈を。」と。

今日もさまざまなことがありました。
眼前の隣人の為に心密かに祈るのが
「こんなに苦しいことなのか」と思わされました。

父なる神さま。どうか私を、
私達を憐れんでください。
そして、主イエス・キリストが
お受けになった凄絶な苦しみと死に
思いを馳せつつ、
今日一日を歩むことができますように。

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歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

万人救済説は、完全に異端の教義だと思います。
万人が救済されたというのなら、何のために信仰や伝道が必要なのでしょうか?すでに救われているのなら何のために信仰告白や洗礼をするのでしょうか?
ヨハネによる福音書03章36節で万人救済説ははっきり否定されています。

>御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。

聖書を読めば、異教の神を拝んだというだけで大量処刑を命じるような神が、自分を信仰しない者を救済などするはずがないと誰でも思うと思います。
そしてあなたが万人救済説を信じる理由も見当がつきます。あなたは天皇・皇族を熱烈に崇拝している。「キリスト者ではなく、偶像崇拝者である天皇・皇族も救われてほしい」と願っているからでしょう?しかしそれはキリスト教に天皇崇拝を混ぜ合わせた異端の信仰です。いわば「キリストの幕屋」のようなものといえるでしょう。

偶像崇拝者が救済されることは絶対にありません。キリスト者ならはっきりそう言いましょう。

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