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汚穢下賤の身にして

実に久しぶりの書き込みになります。
何か月ぶりでしょうか。

「汚穢下賤」。
私の尊敬してやまない矢内原忠雄の聖書講義『イエス伝』に出てくる言葉です。

『イエス伝」では「この汚穢下賤の身が神の子?」という驚愕と感謝が
信徒の口から発せられます。

肉欲、穢れ、悪念。私の毎日はそれらに満ちています。
その全てを公にされたら、私は社会人生活は到底続けられないでしょう。

そのような罪人の首(かしら)ですが、今日、一週間の仕事を終えることができました。
感謝の他ありません。酷暑の中の仕事でした。
自らの力だけでは一日たりとも生きていけません。
だから感謝します。

主なる神の御守り、御導きに。隣人からの助力、支えに。

そのような土曜日の早朝、出勤前に、北朝鮮がまたもミサイル実験を行ったと知りました。
遥か上空3000㎞にまで打ち上げられたミサイルは、奥尻島の沖に落下した、と。

私は、一般人民を虐げながら暴虐、圧制の限りを尽くすかの国の独裁者、
その取り巻き、「絶対随順」する特権階級を、そしてこの日本にあって
陰に陽に北朝鮮を庇う人々を憎まざるを得ません。

しかし、基督者には、このような時こそ、愛と赦しが求められます。

「なんとまだるっこしい!」との叫びが聞こえてきそうです。

そう、他ならぬ私がそう叫んでいるのです。
しかし、この道が、主イエス・キリストが信徒に求め給う道なのです。


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