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反差別運動 「死ね」ではなく悔い改めと和解を

今日、大阪で「仲良くしようぜ」パレードがあり、多数が参加して差別への抵抗と共生を訴えたという。

さまざまな人々が集ったようである。実際に差別に苦しむ人々も、
差別をなんとしても無くしたいとの情熱を抱く人も、
そして「レイシスト、ファシストは死ね」という思想の持ち主も。

「死ね」ではなく「悔い改めと和解を」という運動をわたしは望む。
昨日の加害者が今日の被害者になり、今日の被害者が明日の加害者になる。
嫌というほど歴史上繰り返されたこと。

今のガザは?70年前被害者だった人々の子孫が今日は加害者ではないか。

主は誰の死も喜ばれない御方。基督者はそれを忘れてはならない。


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歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

レイシスト・ファシストは殺すのが当然です。レイシスト・ファシストを殺しても罪に問われてしまう社会が異常なのです。そういう意味で、私は必ずしも国家による殺人を否定しません。差別と歴史修正主義を振りまくネトウヨや政治家などは国家がきっちり殺すべきだと思うからです。

それはともかく、以前紹介した

佐藤優・鎌倉孝夫『はじめてのマルクス』(金曜日)

は見ていただけましたか?非常に面白いと思いますよ。念のために言っておくと、私と鎌倉先生ではマルクスに対する理解が大きく違いますが。それでも鎌倉先生は素晴らしい知的刺激を与えてくれます。

歴史上どれだけの人々が転向、変節、そして改心を経てきたことでしょうか!頼みがたきはわが心。己を過信してはならないのです!悔い改めと和解以外に人間の生きる道はありません。


『はじめてのマルクス』は未読です。探してみます。

佐藤優『同志社大学神学部』を読んでみたいと思っていますが、それ以外にキリスト教関係で面白い本があれば教えてください。

あと、貴殿は関西出身だったと思いますが、関西のキリスト教系有名私大といえば同志社と関西学院ですが、同志社はミッションスクールではないんですね。関西学院はミッションスクールですが。
なので、同志社大学神学部は誰でも入れるのに対し、関西学院大学神学部は所属教会の推薦が必要です。

まずは素朴に聖書に、そしてさまざまな聖書講義、説教集に向き合うことをお勧めします。

無教会の内村鑑三や矢内原忠雄の著作はみなお勧めです。軍国主義への怒りを抑えようとしても吹き出てくる矢内原の聖書講義は素晴らしいものです。『エレミヤ書講義』『イザヤ書講義』『イエス伝』など。

主があなたを祝福されますように。

http://www.dokuritsugakuen.com/
内村鑑三の無教会主義に立つ全寮制教育を行っている基督教独立学園高等学校です。
もし貴殿が中学生なら、ここに進学したいと思われますか?また、もし貴殿に中学生の子どもがいたら、ここに入れたいと思いますか?

話がいきなり学校への子女入学の是非に飛んでおりますが・・・。

独立学園、その趣旨は大いに善しだと思います。わたしには妻子はありませんが、山形県となるとあまりにも関西から遠いこと、学費の問題がありますね。そして、わたしは全寮制は生徒がなかなか一人きりになれないという点で大きな課題があると考えています。孤独の時間を持つことも少年少女には必要です。そして自分の学校を含めて己を客観視する時間が。

教会信徒のわたしが子女を無教会主義の学校に入れるということの良し悪しはありますが、仮に子どもがいたとして入学を希望するなら反対しません。できる限りのことはしたいと思います。現実問題、子女がいても小中高とも同じ大阪の公立に入れるだけで手一杯でしょうけどね。

自分が中学生の時ならたぶん行きたくなかったでしょう。まだキリスト教の信仰を与えられていませんでしたから。そして愚かしい世俗の名誉欲その他の欲望に囚われておりました。立身出世して天下国家を動かしたいという馬鹿げた夢に溺れていたわたしです。

公立でも親の覚悟次第で信仰の継承はできます。キリスト教系私立でも、キリスト教系というよりはもはや大学進学用学校で、キリスト教教育担当の牧師すらこの世の価値観に迎合する学校をわたしは知っております。性についてのその牧師の考えを知った時唖然としたものです。そのような私立学校に金をかけて行かせるよりは、独立学園で信仰を学んでもらうほうがいいでしょうね。

少なくとも名ばかりのキリスト教系よりは(具体名は挙げませんが)遥かに好感は持てる学校だと思います。そういう名ばかりキリスト教系学校が建学の本旨に、何より主なる神に立ち帰ることを祈ります。キリスト教に基づく教育は断じて量ではありません。質です。

大阪府の公立学校では「維新の会」支配の下で「自国に誇りを持てる教育」=史実歪曲教育、を施されることは確かですから、公立も考え物ですけどね・・・。むかしは自虐教育と嫌っていましたが、史実を直視する結果旧軍、旧体制を嫌うようになるのはやむを得ないでしょう。

>キリスト教に基づく教育は断じて量ではありません。質です。

これはキリスト教に限った話ではありませんね。私の考えるかぎり、語学を除いて「教育は量より質」です。
語学の場合は、文法や単語を覚えたうえで、それが自然に口を衝いて出てくるようにたくさんの練習を積む必要があります。量が必要です。
しかしそれ以外の科目では、量より質です。特に理数系科目がそうです。たくさんの問題演習をこなすより、本質的に考えて理解することが必要です。その意味で現在の「受験数学」は最悪です。「受験数学」のおかげで数学がよりわからなくなる、と数学教授が嘆いていました。

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