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5月10日 枚方・百済フェスティバルの案内 歴史を顧みて

5月10日(土)午前10時から午後4時半まで、わたしの街・枚方市の百済王神社と枚方市駅近くの岡東中央公園を中心に、「枚方・百済フェスティバル」が開かれます(雨天中止)。聖武天皇から信頼された百済王敬福の所領がここ枚方にはありました。その敬福が建立した百済寺の跡地が今は百済王神社となっています。

また、応神天皇の時代に論語と千字文をわが国に伝えた王仁博士の墓とされる塚も枚方にはあり、渡来系氏族の根拠地として古い歴史のある地、それが枚方です。母方が渡来系の桓武天皇は枚方・交野の地で遊猟をされるのが常でした。

フェスティバルでは百済人の衣服をまとった人々によるパレードや、民族舞踏、演奏があるほか、屋台村も開かれて韓国からも毎年参加者があるとのこと。わたしは仕事のため行けませんが(毎年行きたいと思いつつ行けません)、関心のある方にお勧めします。

続日本紀によれば敬福は亡命百済王族の子孫。大仏建立の際、鍍金のための黄金を陸奥から献上して天皇のお褒めに預かりました。渤海国との折衝にもあたるなど、有能な中堅官僚だったようです。その一方で酒を好み、豪放磊落な性格でした。繊細で生真面目な性格の聖武天皇は、ご自身と正反対の気性の敬福を却って好ましく思っておられたようです。

明朗快活な人物だったようですが、彼にもあるいは嫌で嫌でたまらなかったのではないかと思える事件もありました。橘奈良麻呂の乱の際に、政争に敗れて死を待つ身となった元東宮の道祖王や元遣唐副使の大伴古麻呂らを拘禁したのは敬福だそうです。恵美押勝の乱に巻き込まれて幽閉された淳仁天皇に、孝謙上皇からの勅使の一人として廃位を宣告したのもこの敬福でした。天皇はお休みの所を叩き起こされ、寝衣、しかも裸足のまま外に連れ出され、廃位の宣告を受けました。そしてそのまま馬に乗せられて淡路島まで遷されます。1年後に幽閉に耐えかねて逃亡を図られますが、淡路国府の官吏に囚われてその翌日に「薨」。お命を奪われたか、或いは自決されたかはわかりません。

豪放磊落、明朗な性格だったという敬福が、嬉々としてこういう「汚れ役」を務めたとは思えないのですよね。道祖王を東宮として、淳仁天皇を一天万乗の君として仰いだ敬福です。天皇即位の時には皆とともに陛下の万歳を叫んだはずなのです。

廃位宣告の勅使の一人であった皇族の和気王は、復位した称徳天皇に謀反したとして後に絞首刑に処せられました。史書に記されないままの、神と本人にしかわからない心情をいろいろと想像します。

隣人との和解と共存、互いに理解し、信頼し合える為に、このフェスティバルが少しでも良い実を結ぶことを願っています。声高に憎悪を叫ぶ人々が街頭に繰り出す時代だからこそです。

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