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水平社博物館を訪ねて 「下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。」「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。」「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」

先日3月3日、かねてから望んでいた水平社博物館の訪問、見学を果すことができた。

近鉄電車に乗って橿原神宮駅に近づくと、右手に大和三山の一つ、畝傍山を望むことができる。そのふもとには「神武天皇陵」がある。皇祖とされる伝承上の帝王・神武天皇の陵を大正時代になって「整備」する際に、地元の被差別部落・洞部落の人々はその場所から退去を求められた。表面的には「穏便」な形での退去で補償金も出たというが、当時のある史学者曰く、

天皇陵に面して部落の墓地がある、
「新平民の醜骸」が「聖域」を穢す、と。

「新平民」。そして「醜骸」。
「醜骸」という余りにむごたらしい言葉に今あらためて言葉を失う。
愛する父母、祖父母、大切な大切な御先祖さまを「醜骸」と呼ばれるのである。

大学時代の苦しみを伴う記憶。

この洞部落の問題を語っていた時に知友曰く、「お前はなんでそこまで知っていて天皇制を認めるんだ」。享安山人答えて曰く、「罪を犯さない政治体制などない」そこに政治体制への迎合と開き直りはあっても、我国とわたしたちの罪を乗り越えようとする心は無かったことを今になって告白せざるを得ない。

今上陛下への敬愛の念は今も変わらない。日本国ある限り皇室も存続してもらいたいというのはわたしの切なる願いである。しかし、近現代の「天皇制」がどれだけ多くの人々に苦しみを強いたかをわたしは分かっていながら目をつぶり続けていたのである。

橿原神宮駅前中央口から奈良交通の近鉄御所駅行きバスに乗って里山の連なるのどかな光景の中を約15分。バス停「郡界橋」に着く(バスは本数が午前中には1時間に約1本。午後になると2時間以上で1本になるので博物館訪問を考えておられる方は御注意を)。そこから川沿いに北上して左へ曲がった所に水平社博物館がある。
20140303_3

近隣の名称は「人権のふるさと」。いい名だと思う。

この日、3月3日は月曜日で本来休みなのだが臨時開館。しかも入館料無料であった。この3月3日が1922年(大正11年)に水平社宣言が発せられた記念日である為だ。

2階が展示室になっている。江戸時代からの数多くの資料とパネル、そして差別の実態を描き出す当時の新聞記事。とくに当時の新聞記事にはガラスに張り付くようにして見入らざるを得なかった。

「ファンタビュー・シアター」では1922年3月3日の全国水平社創立大会の再現映像を見ることができる。

「・・・下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。・・・吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。・・・吾々は、心から人生の熱と光を願求礼賛するものである。水平社は、かくして生れた。人の世に熱あれ、人間に光あれ。」

知識としては既に知っていたこの言葉に、わたしはいつの間にか涙を流していた。人生の苦しみの中から搾り出されて生れた言葉。この宣言を出すまでにどれだけの差別の苦しみを経てきたことだろう。起草した被差別部落民の西光万吉は自殺を考えていたという。そして部落民は子どもを儲けるべきではないとまで思い詰めていた。「自身を苦しむるのみならず生れ来つた嬰児に対しては怖るべき罪悪を犯すことになる」と。その西光がこの宣言の起草者になったのである。「吾々は有らゆる思想を、それが生命の思想であつて死の思想でない限り、其れが人間の活動力を増すものである限り吾々はそれを歓迎する。」(朝治武・守安敬司編『水平社宣言の熱と光』解放出版社所収・手島一雄「水平社宣言への道程」)より。そして西光の草案を添削したのが平野小剣。平野については以前、その著作を探しに国立国会図書館関西館へ行ったこともある

被差別部落民の尊厳を取り戻す闘いは、現実の生活の苦しみとの闘いとなる。それは当時の「穏健な」人々からは過激、左傾と言われたが、生きる為に必要な闘いであっただろう。東西の本願寺に対する「生活向上のため被差別部落門徒はお布施は当分の間拠出できない」という宣言は、法然や親鸞の教えを信ずればこその必死の叫びであっただろう。水平社は当時日本の植民地であった朝鮮の被差別民「白丁」の解放団体「衡平社」とも連携して差別へ抵抗している。

だが、差別に抗うための闘いは、いつの間にか軍国主義に絡めとられていく。中国民衆を虐げる「満蒙開拓」や、アジア全域に「指導民族」として臨もうとする「大東亜共栄圏」に部落民救済の道を見出そうとする姿は、当時の人々が真剣だっただろうだけに、あまりにもむごく、いたましい。水平社宣言を起草した西光自身が、次のような言葉を発して自己を否定してしまうのである。「まさしく水平社とは皇国日本に対する反逆の名であり、そこには厘毫も国体的意義は含まれてはゐない。」(前掲書所収 朝治武「水平社宣言の歴史的意義」)そして平野は、右翼活動家として日中戦争を煽動し、矢内原忠雄を激烈に攻撃する一派に加わった。

しかし、それを生み出した人々がその後どれだけ揺れ動こうとも、水平社創立にかかわった人々、参加した人々の当時の真率、真摯そのものの思いは消えることはない。

水平社博物館を出ると、博物館前に「人権のふるさと公園」がある。そこにあるのは「『解放令から5万日目』記念碑」。201403035

「最大の人権侵害であったアジア・太平洋戦争は解放をさらに遠ざけ」という碑文に頷かざるを得なかった。

公園前には西光万吉の生れた西光寺がある。

人間の尊厳を守るための闘いは決して一直線ではない。闘った人々自身に多くの曲がり道、そして過ちがあった。また外からの攻撃と嘲笑もある。「在日特権を許さない会」の副会長がかつて従軍慰安婦の展示に反発し、博物館へやって来て館内で国旗を振りかざしながら罵倒の限りを尽くしたという。しかし、西光や平野はじめ数多の先人が涙にまみれ血みどろになりながら勝ち取ろうとしたものをわたしは、わたしたちは棄ててはならないのだと思う。そして闘った先人に心から頭を垂れて感謝したい。


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