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トルコの作家、トゥルグット・オザクマンの歴史大作『トルコ狂乱』(分厚い本である)に、アリ・ケマルという人物が登場する。実在の人物で、オスマン帝国末期のジャーナリストにして内務大臣。ケマルという名であるが、トルコ共和国の「国父」アタテュルクことケマル・パシャとは血のつながりはない。末期症状を呈しているオスマン朝を見限る人士が続出する中、王朝を護持しようとする帝政派の文化人である。

作中、アリ・ケマルは作者によって何度も口を極めて罵倒されている。「売国奴」だと。トルコ民族の自尊心をかなぐり捨てて進駐軍のイギリスに媚び、皇帝ヴァヒデッティン(メフメト6世)とともに国益を売り飛ばし、それを正当化したと。反対派によって戯画化されたアリ・ケマルの肖像が『トルコ狂乱』に載っている。いかにも邪悪な感じの中年男として。今日、帰宅途中駅近くのエレベーターの鏡で自分の顔を見て、そのカリカチュアを思い出した。「わたしとそっくりだよなあ」と。

「売国奴」。
「トルコ民族の自尊心」ナショナリズムを中心に見れば、領土割譲を受け容れて英国に迎合し、抵抗運動を抑圧したアリ・ケマルは「売国奴」なのだろう。しかしオスマン王朝の護持を中心に見れば、衰亡する王朝を必死で支えようとした人間だとも言える。トルコ国民でないわたしにはどちらの見方が正しいのか、自分がトルコ人ならどちらを受け容れるべきなのか定かではない。トルコ共和国の主流派からすれば前者になるのだが。

アリ・ケマルは最後は群衆のリンチによって惨殺された。スーツを剥ぎ取られてのむごたらしい死であったという。トルコ国内の東方正教会の総主教も惨殺されている。当時のトルコの群衆からすれば「殺されて当然」だったのだろう。わたしが基督者(教派は異にするが)である以前に、このような形で人を死に追い遣ることには異議を叫ばざるを得ない。同時に、わたしが当時のトルコの群衆の一人であれば容易に血の快楽に酔いしれたであろうことも想像できる。自分自身の中には自己を抑制できるものはない。わたしの場合、徹底して主なる神に依り頼むほかないのだと思う。.

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