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「激しき人生の苦痛に遇ふ時」

「病気にせよ何にせよ、激しき人生の苦痛に遇ふ時、神は如何なる理由によりてかく我を悩まし給ふのであるかと我らは思ひ悩む。而して愚かにもその原因を外に求めて、己自身の中に求めないのである。併しながら我らは遂には、打ち当るべきものに打ち当らざるを得ない。それは我ら自身の罪である。わが罪わが苦痛の原因であり、神はわが罪を怒つて居給ふのである。神の御顔を我より遠ざけたものは、神ではなくして我自らの罪である。それ故神が我を怒り給ふことは、神の義であつて、我の抗議すべき筋ではない。いかに神に投げすてられても、投げすてられたまま、神を絶対に義としまつらねばならない。

この事に気が付いた時、我らの解放は直に始まる。」


「嘗ては我は、我相当に大なることを求めた。わが道徳を積んで、自ら清き人間とならうと求めた。・・・併し、努力の結果は如何。二百十日の台風の後の如く、惨憺たるものであつた。瓦は落ち、雨樋は飛ばされ、塀は倒され、樹は根こそぎされた。躓きは我の内外より群り迫つて、我をくつがへした。もろもろの邪曲は我が心を内より責め、もろもろの敵は我が背を外より耕した。我に何も出来ない!何か出来ると思つたのは、わがたかぶりであつたのだ。此の事を知つただけでも、悩みに遇ふたのは我に善き事であつた。

・・・心の無一文なるものは、神にたよる事を知る。」

(矢内原忠雄『聖書講義 詩篇』より)

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