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水平社博物館にたどり着けなかった一日

陛下が80歳をお迎えになった祝日の今日。
以前から一度見ておきたかった水平社博物館に行こうと家を出ました。

「我々がエタであることを誇り得る時が来たのだ」

象徴天皇を戴きつつこの国に住むすべての人々が
民族、階級の枠を超えて共に生きていける日本国家が理想のわたしとしては
人間が生きていく以上誰かが担う必要のある「穢れ」とされるものを
丸ごと負って生き続けた人々の思いに真剣に向き合いたい、
それには名高い水平社運動の原点を見る必要があるだろうとずっと考えてきました。

解放運動、差別に抵抗する運動にもさまざまな流れがありますが
「天皇制廃止が差別解消の第一歩だ」という考えは今もなお根強く続いています。
全世界の共和制国家でもあらゆる差別が一向に無くなっていないのを見ると
わたしは否と言うほかないのですが。結局は個々人の心のあり方に帰着するのだろうと。

以前読売新聞のサイトで「就職しようとしたら清掃業を勧められた。屈辱的だ。」という趣旨の
投稿があったのですよね。そして他者の反応も「それはそうですよね」の連発。
職業差別が厳然とあるのは嫌というほど知っていたつもりですが
日本一の大手新聞の投稿でかくも露骨なものを見せ付けられて
あらためて暗然としました。「保守」系論壇人なら「職業に貴賤があるのは当然だろう」と
冷笑してとり澄ましていることでしょうが。
論語や孟子を引いて「精神労働」が「肉体労働」に比べていかに貴いか、と
自説を補強することも可能でしょう。

その職業が自他の尊厳を損なうものでなく、他者に役立つものであれば
どんなものでも尊いのだ、というのはわたしの確乎とした信念です。

「この格差社会の現実の中で何を綺麗ごとを」と
笑いたければ笑いなさい、と思います。
この享安山人は綺麗ごととされるものに拘り続けます。
ひとりや二人、そういう綺麗ごとに固執する人間がいても宜しいはず。

理想に真剣に取り組まず、建前としての理想を言っている本人が陰で冷笑し、
現実は、現実は、と言い続け、理想に真剣に取り組もうとしない世の中なのではないか、とも。
今の首相の祖父とおぼしき人物が矢内原忠雄の面前で滔々と「満州国の王道政治」を論じながら
舌をぺろりと出したことをどうしても想起します。

さて、わたしが自宅を出たのは今日の午前11時過ぎ。
奈良県橿原市にある水平社博物館の閉館時刻は午後5時とのこと。
(月曜日は閉館ですが、祝日の今日は臨時開館とのこと)
近鉄の橿原神宮駅から奈良交通のバスに乗れば十分間に合うと思い込んでおりました。

途中で食事をして橿原神宮行きの急行に乗りそこね、特急料金を惜しんで
普通電車で駅に着いたのが午後2時過ぎ。

西口のバス停の時刻表を見て「しまった」と思いました。
午後には2時間に一本くらいしかバスが無いのです。
次は4時1分発とのこと。博物館に一番近いバス停から徒歩15分ということを考えると
それでは間に合いません。

近鉄御所駅からもバスがあるとのことで再び電車に。
そこでもバスは2時間に一本。

今年最後の開館日。諦めざるを得ませんでした。
バスの時刻を見るに、午前中に橿原神宮駅に着いていれば間に合いそうです。

年明けに再挑戦ですね。

帰りの車中では、冬の薄い日差しを浴びる葛城山や二上山を眺めていました。
峰々には雪とおぼしき白いものが。電車の終着駅、阿部野橋界隈の雑踏を思うと
静謐な風景が限りなく羨ましく思えました。
しかし、この享安山人もまたその雑踏の中の一人なのだと思い返し、
明日からまた始まる仕事に目を向ける気持ちになれました。


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