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貧農の末裔・一介の労働者として

「百姓に歴史がありますか。豚に歴史がありますか」

皇国史観の「大家」平泉澄が、「百姓の歴史をやりたい」と意気込みを述べた門弟に言い放ったという残酷な言葉です。平泉にとっては後醍醐天皇や楠木正成といった名だたる英雄が織り成すものだけが「歴史」だったのでしょう。

最近、自分が大学在学中に殆ど学ぼうとしなかった民衆史への関心が強くなってきたのです。どうあがいても一介の庶民、労働者で人生を終わるであろうわたしですが、自分と同じような人々にも時代の波の中で懸命に生きた証があったはずです。その足跡を辿り、人間として、一人の平民として歩むべき道を模索したい、と。

わたしの父祖の歴史は、寺の過去帳を見ても宝暦年間までしか遡ることができません。典型的な水呑み百姓だったようです。それ以前は全く不明。蝦夷・俘囚と呼ばれた民の末裔であることにはほぼ間違いないのですが。

私の父祖の住んでいた地の近く、出羽国の刈和野では江戸初期にキリシタンの殉教がありました。わたしの父祖は、まったくの憶測ですが、或いは信徒が殉教するのを刑場の竹矢来の外から見物していたことと思います。最悪の場合、死んでいく信徒たちに嘲笑、罵声を浴びせたかもしれません。もしかしたら「転んで」生き長らえた者だったかもしれません。すべては歴史の闇の中です。その末裔の一人、すなわちわたしがキリスト教の信仰に導かれています。

今日、矢内原忠雄『イエス伝』を読んでいて、「自分のような汚穢下賤(心のありかたです。一般で言う身分ではありません)」の者であっても神の子としてくださる父なる神の愛を学ぶことができました。自分の意志と努力ではどうあがいてもただ慾望に生きるだけの「快楽の者」であって、神の真理に生き神の真理に死ぬ「悲哀の人」にはなれない自分をも神の子としてくださる神の愛を今あらためて思います。

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