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感慨を覚えた言葉

終戦の日の今日、電車の中で読んでいて接した矢内原忠雄の文章より

「『利益よりも正義』、という事が基督教の主張でありますけれども、
現代の唯物思想は之と反対に、『正義よりも利益』、否、
正義は利益の変名である。正義というのは利益の別名である。
そういう解釈を下して来たのであります。
かかる批評は、或る点に於ては興味のある批判でありますけれども、
根本に於て神に逆う所の傲慢であります。」(「基督教と日本」1941年5月)

加藤弘之といった明治日本の国家主義者たちは
国家神道を推進しながら極めて醒めた目で宗教全般を見ていた唯物論者でもありました。
政治的立場の左右を問わずそういった人々は度し難いシニシズムから
ただ利益こそを至上とみなすようになるのでしょう。

利益を至上とし、正義人道をせせら笑っていた人士(特にこの世で栄耀栄華を極めた人たち)が
いざ自分が弱い立場に転落するや、自分が蔑んできたはずの正義人道の適用を叫び
己を庇おうと、己だけでも助かろうとするのを歴史上私たちは嫌と言うほど見てきているはずです。
その人々の思想的立場如何を問わず。
つくづく人間とはみじめなものだと思います。
そのみじめさを乗り越えさせてくれるのはやはり宗教的なものしかないと思うのです。

風にまかせよ
汝の恐怖を、
闇にわたせよ
汝の憂ひを。

一日の苦労は
一日にて足る、
あした眼さむれば
天地は新たなのだ。

それがこの世の一日でもよし
はた永遠の聖国でもよし、
眼さめた時は朝なのだ

希望の朝なのだ
」(1932年)

一日の苦労は 一日にて足る
新約聖書のイエス・キリストの御言ですが
この御言にどれだけ多くの労働者が慰めを得てきたことか。
明後日からまた仕事に戻ります。
長いようで実に短かった夏季休暇でしたが、それでも
ひとときの安らぎが得られたことに感謝であります。

今日、感慨を覚えた文章です。

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