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「わたしは正しい人を招きに来たのではない。罪人を招きに来たのである。」

今日、神戸のキリスト教古書店を訪ねた帰りの阪神電車の中で
塚本虎二訳『福音書』(岩波文庫)のマルコ伝を読んでいました。

ローマ帝国の手先になって税金を集め、中間搾取で儲けていたという
税金取りのレビ(マタイ)が「わたしについて来なさい」との
主イエスの御言に従って弟子になった時の話です。

私の想像ですが、ローマ帝国の手先になっている、
人々から不当に搾取している、そういう後ろめたさ、罪悪感、恥ずかしいという思い、
その空しさを富をかき集めることで埋めようとして
余計に罪悪感をつのらせるだけだったのではないでしょうか。

そんなレビにとって、自分が設けた宴席での主の御言、
「私は正しい人を招きに来たのではない。罪人を招きに来たのである。」
どれだけ心に響いたことでしょう。

古書店から買った島崎暉久『核戦争と性の問題』(新教新書)にあった
死を前にしての矢内原忠雄の悲痛な叫び。

「全き無抵抗の状態の病床で、しみじみと思い出されるのは自分の罪である。
生まれつきの悪い性質、悪い行ない、メフィストフェレス的な巧妙な論理づけをもって
人を欺き、おのれを欺き、自分の厭う虚言を敢えてするなどわが身とわが生涯は
罪の塊りであることを思う。多少の善行を為し、多少人を助けたことがあるにしても、
神と人とに対して犯したわが罪を補うことは出来ない。
・・・人前に公けにされない自分の言葉や行ないを考えればその実体は罪人そのものであって、
とても人に真理を語る資格はない。病気による徹底的無力化は
私をこのドン底にまで突き落としたのである。私の不義と虚偽は一切
神の前にさらけ出され、私は自分の不義と虚偽を言いあらわすより他なかったのである。」

「その時、不思議な考えが私に臨んだ。生まれつきの悪い性質、
少年時代から今に至るまでの悪い行為、メフィスト的な詭弁による肉欲の追求など、
それら一切を含めて神は十字架の贖いによって私の罪を赦し、
潔き新しい心を私の中につくり、私を全く別人として神の御用のために
用い給うたということである。
・・・私は自分の生まれつきの手と、神から新しき潔き心を以て
つくられた手を並べて見て、涙が流れて仕方がなかった。」

矢内原の悲痛な叫びは私のそれでもあります。
そんな私にとって主の御言がどれだけの慰めと励ましを与えてくれることか。

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