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偶感 「法被を着た」平成の一労働者から植村正久先生への呼びかけ そして主なる神への祈り

わが日本基督教会の大先人、植村正久先生へ。

先生が天に召されてから幾久しい時が流れました。
日本の国は、わが国史上類を見ない大破局を経て
平和国家として甦ったはずでした。しかし今、明らかにおかしな方向に進みつつあります。
先生は天よりその有様をつぶさにご覧になっているでしょう。

今日、仕事帰りにふと先生のことを思ったのです。

ありていに申します。
私は日本基督教会で洗礼を受けながら、先生のことが嫌いでありました。
非戦論を唱えて奮闘する内村鑑三先生を教会会報で冷笑されたという先生。
キリスト教と社会主義を融合させて弱者、貧民を救わんと理想に燃える片山潜に
「法被を着た人間は日本基督教会には要らない」と言い放ったという先生。

明治の昔の「法被を着た人間」、要するに肉体労働者のことですね。
すなわち平成の今の私であります。そういう人間を要らないと言われた時の先生は
福音をどう思われていたのでしょう。

ナザレの大工たりし主イエス・キリスト、ガリラヤ湖の漁師ペテロ、
天幕職人パウロ・・・先生は主と使徒たちのことを果たして想起されていたのでしょうか。

先生を何度心の中で「あなたは福音を何と思われていたのですか!」と
指弾したかわかりません。

しかし、先生の歩みを少しづつ学びつつある今思います。
先生はきっと「法被を着た人間は日本基督教会には要らない」との言葉を
深く深く悔いておられただろうと。

一言で相手をずたずたに傷付ける言葉があります。
実際片山さんはそれで抉られるような傷を負われたことでしょう。
言葉とは恐ろしいもの、重いものです。
しかし、生涯を懸けて福音を宣べ伝えた先生が、福音にある貧しい者への
深い、余りにも深くやさしいまなざしに気付かれなかったはずがないと思うのです。

内村鑑三先生とは険悪な仲だったと聞きます。
でも植村先生の高弟・高倉徳太郎先生は
深い影響を受けた書の一つに内村先生の『求安録』を挙げておられますね。

植村先生、内村先生、そして自ら命を絶たれた高倉先生、
皆苦しい生涯だったことと思います。その苦しみを
主は何より御存知のことと固く信じています。

先生方は本当に宝のような数々の著作を遺してくださいました。
その生き方から、基督者は主の道をいかに歩むべきか、また歩むことになるかを
教えてくださいました。感謝します。

でも先生方はその感謝の言葉を謙遜を以て拒まれることでしょうね。
「すべては主に帰すのです。栄光はすべて主のものです。」と。

主なる神さま
今日もまた、一週間の仕事を終えることができました。
感謝です。心の挫けた、歪んだ心で苦悩を叫んだ私をも
今日までお守りくださいました。感謝申し上げます。

明日は教会の礼拝です。あなたを讃えることができますように。
私の愛する人たち、そしてどうしても憤りを覚える人々をも祝福してください。
罪人なる私たちにどうか憐れみを。
この拙き祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げいたします。
アーメン。

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歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

片山潜は日本における共産主義運動の先覚者として一時期崇拝されていました。
しかし片山潜と同時代を生きた革命家たちは、「片山潜は本質的にプロレタリア的人間ではなく、たまたま共産主義運動に迷い込んだキリスト者にすぎなかった」と厳しく批判していました。

片山潜が虐げられた民衆への愛に充ちた人間であったことは否定しがたいと思うのですが。「プロレタリア的人間」とはマルキストのことですか。マルキスト以外は虐げられた者の為に、或いは本人が虐げられた者として活動する意味はないと言われるのですか。

あなたが「プロレタリア的人間」であるならば、今の危機的な状況を憂うことがキリスト教批判などより優先されるべきだと思います。ナチス台頭期、ドイツの共産党はナチス批判以上に社会民主党批判に夢中になっていたとか聞きます。

>ドイツの共産党はナチス批判以上に社会民主党批判に夢中になっていたとか聞きます。

これは、おそらく「社会ファシズム論」のことを指しておられるのでしょう。
もちろん、今日では社会ファシズム論の誤りとその破滅的結果は明らかであります。ドイツでは、一時期「民族ボリシェヴィズム(Nationalbolschewismus)」がはやったこともこの背景にあるでしょう。

今日の危機的な状況を憂う、と言っていますが、私は楽観視しています。というのは支配階級にはもはや出口がないからです。あと10年で、ブルジョアジーはプロレタリア革命の足音に安眠を妨げられることになるでしょう。

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