最近のトラックバック

« 「試むる者内外にあり」 | トップページ | 嬉しかったこと »

コルベ神父のこと

なんとか先週の仕事と、今日の臨時出勤を終えて半日休むことができました。
梅田の大阪キリスト教書店まで足を伸ばし、
マリア・ヴィノフスカ著・丘野慶作訳『アウシュビッツの聖者コルベ神父』(聖母の騎士社)を
買うことができました。日本で宣教したこともあるコルベ神父は
「無原罪の聖母」を通じて示される神の愛を文字通り地上のすべての人に伝えるべく
全人生を捧げました。そして最後はアウシュヴィッツ強制収容所で死刑を宣告されたある人の
身代わりになることを自ら申し出て、殉教の死を遂げました。
ローマ教皇の権威をめぐって私と同じプロテスタントの牧師と論争をしたともいうコルベ神父ですが
信仰への献身は凄絶なものでした。肺結核を病みつつ清貧というより極貧に甘んじてひたすら
宣教に全力を尽くした人生です。読んでいてコルベ神父の信仰の徹底と
犠牲的精神に何度も絶句させられました。

聖母マリアを信仰の模範として尊敬こそすれ、主への執り成しをして頂くよう祈ることはない
わたしたちプロテスタント信徒です。
その信仰の根幹「信仰によってのみ救われる、行いによってではない」
を重んじる余り、「行いを欠く信仰は死んだもの」を忘れることがかなりあります。
「口ではなんとでも言える」は真実の一端を衝いています。

著者は、ダッハウ強制収容所から生還したものの、
あまりのむごたらしい経験から神も人間も信じなくなったある人との対話から
この書を記すことを思い立ったそうです。

「人間に対する信用を失い、ひいては、
神を信じないすべての人々のために書き、彼らに献じたい。」
著者の言葉です。

瑣末なことで信仰が揺らぎ、隣人への愛を忘れ犠牲を厭い己の安楽のみを求める私にも
コルベ神父のような信仰と隣人愛が与えられることを祈るものですが
ありのままを告白します。そう祈ることを実は恐れています。
神父のように自己を徹底的に犠牲にすること、すべてを主に捧げきることへの恐れがあるのです。
信仰に強くなれない自分があります。

しかし、主イエスを見棄てて裏切り、呪いの言葉まで口にして保身を図ったイエスの一番弟子ペテロが
「行きたくない所へ行かされ」その人生の終わりを以て神の愛、そして神への自らの愛を
証したようなことがこんな私に起こらないとも限らないでしょう。

すべては御心のままに、です。.

« 「試むる者内外にあり」 | トップページ | 嬉しかったこと »

歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: コルベ神父のこと:

« 「試むる者内外にあり」 | トップページ | 嬉しかったこと »

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ