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聖書を通じた信仰による生き方と『菜根譚』での明哲保身の生き方の違い

昨日今日と自室に積み重なった書物の整理をしていて
以前に買った『菜根譚』の解説書が目にとまりました。
中国明代の教養人が、儒学、仏教、道教から学んだ人生の歩み方を
指南してくれる本で、確かに何度も頷かされる文章が数多あります。
いわば「世渡り指南」と言ってもよいでしょう。

しかし、気になった一節もありました。
「道徳を余りに高く掲げたら、その自分自身の掲げた道徳に縛られるか、
自分自身がそれを実践できないことで他人に揚げ足を取られるから
沈黙しているほうがよい」との指南です。

世渡り指南、処世訓としては確かにその通りです。
自らを省みれば到底道徳のことを高く掲げることなどできませんし
それで「あいつは道学臭芬々だね」との世の失笑、
いや「お前はそれを実践できているのか」との指弾すら受けかねません。
明哲保身の諭しとしては最上のものでしょう。

ここで思い起こしたのが、無教会主義の福音伝道者の藤井武。
「僕の語る言葉は僕自身をも審くだろう。しかし、それでも言わねばならない。」
藤井は男女関係の純潔を重んじたほか、虚偽を拒絶する、真実をひたむきに追求する点において
無教会主義の信徒の中でも傑出していたと言われます。
その生き方には明哲保身にこれ努める姿勢などありませんでした。

『菜根譚』の説く生き方と、聖書全体の学びを経て藤井が示した生き方。
臆病な私としては前者で明哲保身にこれ努めつつ大過なく世渡りできればという欲がありますが
強烈に惹きつけられ、そしてそうありたいと願うのは藤井の生き方です。

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