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私が皇室を大切に思うのは 昭和天皇のこと メーサロシュさんへの回答として

項をあらためたほうが良いと思い、ここに記します。

私は自分なりに皇室の長い長い歴史に取り組んできたつもりですので
皇室の正負の両面は多少は知っているつもりです。古代、中世から近現代に至るまで。

昭和天皇の数多のご発言にも、感嘆すべきものもあれば
「そのお言葉は余りにもむごいと存じます、陛下」と叫びたくなるものもあります。
戦争責任について記者に問われ「そういう言葉のあやについてはよくわかりません」
と仰せになったこと、否、その同じ場で原爆投下を「やむを得なかったと思っております」と
仰せになったことは痛恨の失言でしょう。
原爆被害者たちには絶望した人も多かったのではないでしょうか。

引用された沖縄メッセージは高校生の時に知りました。
また、国家神道について余りにも第3者的な、天皇をひたすら崇拝してきた軍人へのむごいお言葉、
所謂「ホイットニー文書」も知っています。

『昭和天皇独白録』での、朝香宮に「国体護持ができなければ戦争を継続するのか」と問われて
「勿論だ」と答えられたことも、当時の内外国民の惨禍が更に長続きすることを思えば
「あまりにむごいお言葉です」と叫びたくなりました。
いくら皇室ご一家といっても、間違いなく同じ人間です。数十人の皇室一家のために
一億国民が玉砕せよなどというのは恐るべき顛倒した価値観でしょう。

小倉侍従日記で明かされた、「南洋を見たし」「日本の領土となる所なれば」のお言葉には
「陛下はあの戦争で勝つものとお思いでしたか・・・。
敵国から領土を割譲してもらえると、
そこまで楽観しておられたのですか」と愕然としたものです。

それでも多くの研究者が明らかにしたように
(最近では古川隆久や伊藤之雄が昭和天皇の伝記を刊行しています。
私が長々と述べるよりそれらをご覧ください)
昭和天皇は、国民を思い、平和を愛される君主であられました。
あの戦争の惨禍への責任感はお持ちでした。
その表現の余りの拙さが今に至るまで禍根を残してはいますが。
理想とされた立憲君主像と、ご自身が発せざるを得なかった言動との矛盾。
政治は結果責任ですので、陛下は内外の人々のありったけの怨嗟を甘受されるほかありません。
しかし断じてあの方は暴君ではありません。ご自身の置かれた限界の中で
必死で平和を求めてあがいたお方でした。

朝香宮の質問に「勿論だ」と答えられたのは昭和20年8月12日。
その2日後には、無条件降伏を決断なさいました。
連合国側からの「国体護持」の確固とした保障は得られぬままに。
すさまじい葛藤がおありだったと思います。
不安や恐怖の中での選択だったでしょう。
しかし、このご決断によりようやく平和が到来したのです。
古川は疑問視していますが、「国体」についてはすべてを国民に委ねる旨を
木戸内大臣に語っておられます。

そして、最近は「神話」とされることの多いマッカーサー訪問の際のお言葉ですが
あらためての研究ではやはり責任を負うと語られたようです。
戦後にはご自身の統治を振り返られ、近隣諸国への加害の意識をはっきりとお持ちでした。
入江侍従日記でのお言葉などに明らかです。幾度も悔恨されたことと思います。

天皇は日本が国として成り立った時から日本という国を体現するお方でした。
反天皇制論者であった網野善彦は、天皇制を無くすことは
日本という国を根底から変える必要があると述べています。
過去の積み重ね、長い歴史と断絶することは私にはできません。
負の遺産も正の遺産も同時に受け継いでいくべきだと思います。

その網野は、今上陛下と皇太子殿下には好意を抱いていました。
学習院大学で網野に質問をされる皇太子殿下に率直に好感を抱いたそうです。

日本のような国では立憲君主制が極めてすぐれた構造だということも述べたいのですが
長くなりましたので、歴史的なことにとどめておきたいと思います。

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