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「主よ 平和をわたしたちにお授けください」 侮蔑が憎悪を呼び 憎悪が敵意の応酬を招くなかで

私事ですが、日・月が休日のため、休みを利用して
新緑の中乱れた自分の心をいささかなりとも整理したいと思い
京都の円山公園に行ってきました。

公園の一角でわが主なる神に祈りを捧げた後に携帯電話で知ったインターネットニュースが
「安倍よ、丸太の復讐を忘れたか」

というものでありました。
わが広島、長崎への原爆投下を「神の罰」と「謳いあげ」
声高に「いい気味だ」とばかりに感情のままに悪意をぶつけるものでした。

文脈から、また韓国人の信教の比率から考えて、この文章の文責者は
おそらく私と同じキリスト教徒でありましょう。従って言及せずにはおれませんでした。

はじめは本当に逆上しました。次には「実際、原爆投下は細菌戦への神の罰なのだろうか」と自問自答しました。
旧約聖書には確かに主が他ならぬ選民イスラエル王国、ユダ王国に対して、
そしてバビロン、アッシリア、エドム、モアブといった諸国を戦争を以て罰し給う記述があります。

わが国の関東軍が非人道的な生体実験を行ったことは歴然たる事実です。
皇族の竹田宮が731部隊を関東軍高級参謀として所轄していたことすらあります。
残念なことに、宮からついに罪の告白の言葉はなかったと思います。
はるか昔見たテレビ番組では、731部隊にロシア人女性を
「人体実験の材料」として送った元将校が
「もったいなかったねえ」とへらへら下卑た表情でカメラに向けて笑う場面が
映し出されていました。
公正であるとともに、峻厳なる裁きが下されて然るべき罪悪でありました。
(実際には米軍との裏取引があったのか、関係者の一部がソ連で裁かれただけでした)

では、それは原爆投下と結びつくのでしょうか。

先ほどまで古本屋で買った『原爆の子』(岩波文庫)を読んでおりました。
お読みになった方も多いと思います。

この子らが苦しんだのは、眼前で肉親を虐殺されたのは「神の罰」なのでしょうか。
戦争を、原爆を呪い、「朝せん」で原爆がまた使われるのではないかと案じてやまない心を持つ子らが
「神の罰」の対象になったのでしょうか。私はそうは思いません。
この子らは主の大いなる慈愛の対象でこそあれ、「神の罰」の対象などではありません。
そして、広島でも長崎でも数万人の強制的に徴用された朝鮮人が被爆しているのです。
この記者はそのことを全く知らないのでしょうか。「無差別の殺戮」とはそういうことです。

広島への原爆投下機の乗員たちを祝福した牧師について
同じ米国人のある牧師は「同じアメリカ人であることを恥じる」と語りました。


ドレスデン爆撃然りです。例の文章の筆者は知らないかもしれませんが
ドイツはナチスの非を認めつつも、連合軍の無差別空襲を同時に指弾しているのです。

もし「神の罰」があるとすれば、キリスト者なら「それはまずこの私に降りかかるはずだ」と
思わずにはいられないはずです。これは従軍慰安婦問題について
倫理の二重基準という主への背信を行った私の実感であり
またキリスト教徒一般としての自覚でもあります。

石原前都知事が東日本大震災を「堕落への天罰だ」と言い放った時も似た思いを抱きました。
「この人は何十年も国政の中枢にあり、『堕落した日本』の首都・東京の知事を10年も務めながら
自分にも非がある、裁かれるとしたらまず私だ、とは思わないのだろうか」と。

侮蔑が憎悪を呼び、憎悪は敵意の応酬を招きます。

天にまします主イエス・キリストの父なる神よ

平和を私たちにお授けください。
あなたの御憐れみによる罪の赦しに涙もて縋るほかない私、私たちです。
どうか憐れみ給えと祈るほかない者です。
罪ある者には悔い改めを 悪意ある者には和らぎをお与えください。
この祈りを真なるものとならしめてください。


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