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「内村全集 藤井・矢内原全集に 書棚は満つれど わが霊はいかに」

「我らの智慧足らず、勇気足らず、信仰足らずして、みじめな失敗をなめることもある。
その時、我らのたましひはうなだれて、神の御前にはげしい羞恥の感に打たれる。
しかるにかく我らが神の御前に恥ぢて、我らの罪を言ひあらはし、神の赦しを切に願ふとき、
意外にも神はその憐憫を我らに豊かにそそぎ、我らを神のふところに抱き上げ、
神の深き愛を我らに示し給ふのである。例へば詩篇第三十二篇を見よ、第五十一篇を見よ、
我らの失敗はしばしば我らの成功よりも一層近く我らを神に近づけるのである。
・・・神に対する信頼の欠乏をこそ、我らは常に恐れねばならないのである。」
(1951年(昭和26年) 矢内原忠雄『嘉信』第14巻第9号)

自己の罪との「血を流すまでの戦い」の無さと、他者への思いの欠如を
他人の言葉を通じて自らのものなのだと知った時、駅のホームで
上記の矢内原の言葉を知りました。

また、キリスト者にして翻訳者のイシガ オサムさんの一首も知りました。

「内村全集 藤井・矢内原全集に 書棚は満つれど わが霊はいかに」

まさに今の私そのものであります。

主よ わが祈りを 真ならしめ給へ。
わが負える傷を浅くに非ず 深く癒し給へ。
痛みを伴ふ深き癒しへの恐れより われを解き放ち給へ。

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