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「わたしどもの苦労など、なんでもない」

憂いごとが多いときには、仕事帰りのバスの中で読む聖書講義書が
何よりの心の糧となっています。

私の仕事は社会的には軽作業。労働時間も一年で最も多いときで12時間程。
したがって到底重労働とは言えないのですが、それでも
「どうしてこんな苦労をしなければならないんだ」と被害者意識に囚われることもあります。

そんな時に読んだ矢内原忠雄の言葉。
主イエス・キリストの御労苦、御心痛、そして十字架上の御苦痛に比べれば
「わたしどもの苦労など、なんでもない」
数多くの基督者としての著作のうちの一節だったと思います。

そうなのだ、と今あらためてこの文章を書き記しつつ知らされています。
官憲に、軍国主義者に、その追従者に虐げられ、肉体的拷問こそ受けなかったとはいえ
罵詈雑言を浴びた矢内原自身が
「わたしどもの苦労など、なんでもない」と言い切っています。

私事でも仕事でも社会のことを見ても憂いごとの多い最近ですが
私の感じる労苦などおよそ苦しみでもなんでもないのでしょう。

自分の労苦をなんでもないと感じることは、
この世の不正不義をおおめに見るということではありません。決して。

感謝と赦しと憤りと、ともに併せ持つ人間であり続けたいと祈ります。

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