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自分なりに歴史を学んできての苦い苦い収穫

およそ専攻として史学を学んだことはただの一度もない、
大学で「史学概論」すら履修したことのない享安山人です。
自分なりに興味のある範囲の史書や読み物を漁っているに過ぎないのですが
それで得た、苦い苦い「収穫」、知ってしまったこととして

「人間は死を前にしても虚偽を語る」という事実があります。

たとえば満洲事変当時、関東軍司令官だった本庄繁大将の遺書の一節ですが

「満州事変は排日の極鉄道爆破に端を発し 
関東軍として自衛上止むを得ざるに出でたるものにして」という言葉があるのです。

歴史学では事実はその反対であったことを示しています。

関東軍司令官としてせめて軍の名誉を守りたい、或いは真実を明らかにすれば
嘗ての部下たちが罪責を問われる、という思いがあったかもしれません。 

しかしそれでも、後世の人間としては、せめて死を前にしては
真実を全国民に明らかにして欲しかった、という痛い、苦い思いがあります。
ましてや生き続けて屈辱に耐えつつ真実を明らかにするのは
最も苦痛に満ちたことかもしれませんが、
それが数多の人間の生死を左右できた人間の責務でありましょう。

フランスでもドレフュス事件の時、ドレフュスを冤罪に追い込んだ
アンリと言う佐官は自殺を前にして、遺書でドレフュスはドイツの間諜なのだと綴りました。

自分自身の体面を守るため、死に至るまで虚偽を貫くということは
この私にも十二分に起こり得ることです。私がそうなっていないのは
単なる幸運に過ぎないのかもしれません。
生き抜くとは厳しいことです。だからこそ生きることに価値があるのだと思います。

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