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「燈台社」の人たち

私の属する教会は、カルヴァンの流れに属している教会で
「正統プロテスタント主義」の名を冠せられることもあります。
(但し、カルヴァンへの批評は自由です。私に洗礼をさずけてくださった牧師さんは
「思い切った言い方をすれば、神はすべての人を救いに選ばれているのです。
神の愛が、そうさせるのです」と著書で言い切られました。その言葉が私を信仰の道へ突き動かした一因です。
万人の救いを説いたのはカール・バルト牧師も同じでした)
明治時代、教会の創設に尽力した植村正久牧師は、「正統信仰」の継承に
生涯を捧げました。自分もその末に連なる者として信仰を保っていければと祈って已まないのですが
常々思っていることに、では「異端」とはなんだろうと。
信徒ですら言葉では説明しきれない三位一体説を信奉しない教派は時に「異端」と呼ばれます。

戦前、「燈台社」と呼ばれる一つの信仰団体がありました。信仰のありようでは「異端」とされます。
明石順三という人物が指導者です。
その明石は、しばしば私たちの教会の先達たちのところへやってきては
神学論争を挑み、先達たちからその風貌、言動で「野卑でとてもキリスト者とは思えない」
と思われていたそうです。

満洲事変から日中戦争、そして太平洋戦争へと暴走する中、
本当に残念なことですが、私たちの教会は諸教派が合同した上で戦争に協力しました。
心から国策を礼賛した信徒、しかも満州国の指導的立場にあって「建国神廟」創設に携わった人物もいれば、
戦争にはどうやっても同意できないが、せめて皆と苦しみを分かち合いたいと海軍に志願し、
前線に赴いた当時学生の牧師さんもおられます。
その牧師さんはそれは「逃避」だったと苦く回顧されています。
「苦しみを分かち合う」ことによる自分の魂の浄化を願うのではなく、
どれだけ罵倒されようが軽蔑されようが反戦を叫ぶべきだったと。
甲板で血まみれになって死んでいく兵士、何もできない海軍少尉の自分。
「お前はなんだ、なにがキリスト者だ」とご自分に向けて叫んだそうです。

「異端」の明石順三たちはどうしたか。真っ向から、本当に真っ向から
愚直なまでに反戦を叫びました。そして信徒は悉く投獄されました。
心身両面にわたるむごたらしい拷問の末、明石の妻は獄死、子息は「転向」しました。
同じく獄死に追い遣られた信徒もいます。

明石順三は法廷で全く臆することなく、怯むことなく叫びました。
「私たちは5人です。1億が勝つか5人が勝つかの戦いです」
明石順三は最後まで屈することなく拷問に耐え抜き、戦後釈放されました。
そして同じく獄中から生還できた同志に静かに笑いかけたそうです。
「面白かったね」と。愛する妻の死、子息の転向、かけがえのない同志たちの死、
それらを徹底的に、痛いまでに踏まえた上での「面白かったね」との言葉だったことでしょう。

戦争に協力した、させられた教会信徒たちもどれだけ苦しかったかと思います。
平和な時代しか知らない私は、ただその苦しみを想像することしかできません。
しかし、イエス・キリストの御意志を実現しようと馬鹿正直なまでに努めたのは
「教会」を形作らない「内村鑑三の後裔たち」である無教会主義の信徒、
そして「異端」と呼ばれた人たちでした。

すべての人が救われることを御望みなのが主なる神だと新約聖書にはあります。

自分が死の恐怖にさらされた時、どれほど醜く振舞うかは容易に想像できます。
神の愛も非戦主義も忘れ果てて「こっちがやられる前に向こうを『沈黙』させろ!」と
喚き散らすこと必定です。それでも、そんな自分でも平和の尊さを叫び続けざるを得ないのです。
それがキリスト者に課せられた十字架です。

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