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元日に王仁博士の墓を訪ねる

元日、私の住んでいる枚方市の藤坂東町にある
「伝・王仁博士の墓」を訪ねた。

この枚方の地は王仁博士の墓のほか、白村江の海戦の後我国に亡命した
百済王家の所領があった地であり、
母方が帰化人系であった桓武天皇が百済王家の別邸に行宮を定めて
遊猟を何度も催されるなど、古来より朝鮮半島や中国大陸の文化が根付いてきた地である。
特に王仁博士は、我国に論語と千字文を伝えた、いわば精神文化の恩人の一人である。

応神天皇の御代、阿直岐という優秀な帰化人がいた。
天皇が「汝より優れた者が果たして百済にいるのか」と感嘆して問われると
阿直岐は、「王仁という博士がいます。通暁しないことはありません」と奉答。
そして王仁を招聘、王仁博士は時の菟道稚郎子皇太子の師父となり
儒学を講じた、と。皇太子が兄君・大山守皇子との悲惨な皇位争いのあと、
同じく兄の仁徳天皇に皇位を何としても譲りたいと思われ、
懊悩の末ついに自害されたのは、儒学の孝悌の道をわきまえておられたからであろう。
そして、実の兄を川に落として命を奪った罪悪感もあったことだろう。

「伝・王仁博士の墓」は江戸時代に時の儒学者が考証して定めたものであり
確固たる考古学的、史料的証拠があるのではない。
また、王仁博士の事績も記紀にあるだけなので、その実在性を疑問視する向きもある。

私は記紀の記述は、年代や神話的叙述を除けば、敢えて疑う必要は無いと考えるので
我国に論語と千字文を伝えたという王仁博士にはただ素直に感謝する。

論語は何度も紐解いているが、その度にその素晴らしさに感嘆しないことはない。
孔子の「己の欲せざる所を人に施すなかれ」は人間の歴史の続く限り残る名言であろう。
主イエス・キリストはそれに一歩を進めた積極性を説き給うた。

公園になっている「伝王仁墓」には、韓国の宮殿建築を模した
小さいがきらびやかな「百済門」があり、そこをくぐって「伝・王仁博士の墓」へ。
墓前で我が主なる神に黙祷。王仁博士への感謝の思いも伝える。

同じく公園を訪ねていたご高齢の方から声を掛けられる。
お話を聞いていると、かつて帝国海軍に一兵士として在籍しておられたとのこと。
会話の中、私が「鎮守府のあった所ですね」と口にしたら、
「今時の人は鎮守府なんてなかなか知らんやろうに」と
言っておられた。海軍のバックルを今でも大切にしていて、それを見せてくださった。

何度も戦時中のことに言及されて、その度に言葉を詰まらせて涙ぐまれる。
ただ聞いて差し上げるほかなかった。

ご健勝をお祈りしてお別れした。
貴重な出会いに感謝である。

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