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新春に 『論語』にみる孔子と平成日本人の感覚の異同

今日は大阪はなんばの店で漫画を買ってきました。
昨日が教会の祈祷会でしたが、今日はただ疲れを癒すための休養日になりました。
夕方からの厳寒で却って疲れましたが。

外套のポケットに貝塚茂樹和訳の『論語』をしのばせて
暇があれば読みふけっていたのですが、
先日も述べたようにただ感嘆しきりです。
過去に幾度も別の訳で読み返しているのですが

「知れるを知るとなし、知らざるを知らずとせよ、これ知るなり。」

など、はたと吾が身を省みることしきりです。

ただ享安山人には不思議に思うこともあり。
「十世知るべきか・・・・それ或いは周に継ぐものは、百世と雖も知るべきなり」
はその最たるものでしょう。

孔子は紛れも無く当時の天子であった周の王室に敬意を抱いているのですが
その一方でその天子の系統がいつかは他の王室に取って代わられて
幾つもの王朝が興亡することを当然と思っているわけです。
天命は革まるのだ、と。

ここがどうにも私には分からない。
天子に忠誠心があるなら、能うる限り今の皇室が代々、否永久に続くことを望むのが当然だろう、
という平成日本人の私にはどうにも違和感があります。

易姓革命の国と万世一系の国の違いといえばそれまでですが、
この諦念とでもいうべき感覚は遥か後代にもずっと受け継がれているようで
確か李商隠か李賀の詩だったと思うのですが
「今の唐王朝の遥か後には・・・」云々と綴っているものがあったはずです。
中野美代子北大名誉教授の乾隆帝に関する著作にも
皇帝本人が「我が王朝は15代も続けば幸運だが・・・」と詩作している記述がありました。

歴史的には、易姓革命の概念のほうが万世一系より古いはずです。
なぜ我国が「万世一系」という概念を生み出したのか、個人的に学んでいくつもりです。

我国でも後醍醐天皇の重臣吉田定房はその上奏文で
「異朝は革命があるから中興できるが、我国は一系なので衰えていく一方です」と
随分非礼にも思えることを述べており、
最近現代語訳で読み直した新井白石『読史余論』の解説によれば
白石は「天皇王朝」から「徳川王朝」へ「天命は革まっている」と説いているとか。
京都の天子は確かにこれからも「天下の共主」として推戴すべき御方だが
既に「虚器を擁する」だけであり、徳川氏にこそ天命があるのだ、と。
私が以前岩波文庫版で読んだ時と趣が随分違うので、その大胆かつ
不遜とも言える白石の歴史観に驚きを新たにしています。
解説者にすれば私の読みが不十分だったということになるのでしょうが。

元日や一系の天子富士の山

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