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マヤ暦騒動に思う

欧米を中心にマヤ文明の暦から「12月21日に世界が終わる」との噂が広がり
また、それに何故かキリスト教の終末観を交えて聖母マリアゆかりの地へ
なんとか助かりたいと願う人々が千人規模で集まっている、云々といった話を耳にしました。

一人のプロテスタント信徒としていえば
「世界の終わり」は父なる神お一方だけが御存知です。
そのありさまも、いつそれが起きるか、ということも。
つまりは、人間が「いつ来るのか」と気にしても仕方ないのですね。
ルターは「たとえ明日世界が終わろうとも私はりんごの木を植える」と言ったとか。
子供のころは五島勉なる男の書いた『ノストラダムスの大予言』に
心底怯えたものですが。

キリスト教のことをいえば、
すさまじい描写に満ちている新約聖書の『ヨハネ黙示録』ですが
その文末は

「主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。」なのです。

すべての人が神の救いの対象となる万人救済の希望をそこに託すこともできます。

ちょうど今、アニメ映画『新世紀エヴァンゲリオン』が上映中ですが
(テレビ版と旧映画版しか知らないのですが)
あのような形での「世界の終末」には自分自身の信仰生活においても、
また鑑賞のための虚構のものとしても今は全く興味を無くしました。
どうせ虚構のものなら遊行寺たまさん作『+C sword and cornett』(一迅社)のような
生きる希望を与えてくれるファンタジーがいいですね。

今の私が思うのは、キリスト教徒の一人として
神の慈愛を信じることと、どのような形で人生を終えるとしても
毎日毎日をせめて生真面目に生きていくだけ、ということです。

この享安山人の如き罪人ではなく
敬虔な人、他者への慈愛に満ちていた人であっても
凄惨な最期を迎えることはいくらでもありました。

ナザレの人イエスこそがその極みでありました。

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