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秋の一日に思うこと 恵みと罪責への向き合いと

今日は教会の日曜礼拝の日でした。

神への礼拝と、聖書、
そして内村鑑三や矢内原忠雄、塚本虎二、大塚久雄、
植村環といった先人達の生き方を通して
今まで生きてきたうちでの辛い事ごとも全て主より賜った試練であり同時に
御恵みでもあるのだとしみじみと感じることができ、ありがたいことでした。
学校や嘗ての職場での苛めに始まり思い出すのも辛いことは
山ほどありますが、そんな私もまた自らが肉親をはじめ
他者を幾度も幾度も深く深く傷付け、そしてそのことを自覚もしなかった
罪人であります。

一旦帰宅して昼食を摂った後、京都大学近くの知恩寺(知恩院とは別の寺院)で
開かれていた古本市に行き、エリザベス2世女王の伝記などを
入手できました。別の古書店で内村鑑三が米国の篤志家ベルに送った
手紙の邦語訳を購読できたのも幸いなことです。
辛い中に御恵みを感じた一日でありました。

心に翳りもありました。
ある牧師さんが、陛下が今月の17、18日に沖縄県へ行幸されることに触れて
「現天皇」は皇位を継承しているので、昭和天皇の「戦争責任」を「担っている存在」
であり、沖縄県に行くのであれば沖縄戦と基地問題に苦しんだ県民に
謝罪すべし、と言っているのを知ったのですよね。
(教会内で月一回刊行、回覧される冊子に載っている意見なので
ここで引用していいのか、という迷いはありました。
しかし「教会員にしか見せない」刊行物などあってはならないと考えますし
陛下に謝罪を「要求する」と明言している以上、公のものでありましょう)

私は何度も何度も言っていますが、「罪責の継承」というのが受け容れられないのです。

昭和の陛下にはその内面の御心にかかわらず
(外務省の白鳥敏夫に至っては陛下を陰で「パシフィスト」と嘲っていました。
今でこそ「平和主義者」は好感を持って見られますが、
この言葉は「平和維持のためなら名誉も尊厳もかなぐり捨てる卑怯者」という意味合いもあるとか)
国内外の何百万もの人々がその御名の下で
悲惨としか言いようのない死に追い遣られたことについて
一個の人間として、そして天子としてその責めはあるでしょう。
(但し、法的責任はありません。
無答責の立憲君主であられたのですから)

法的ではない責任、それは昭和の陛下が御一身で担っていかれるべきものであって
その解決は陛下や内外の人々の宗教心に求めるしかない性質のものでありましょう。
遺伝的に陛下の後裔に継がれていくなどというものではありません。

終戦時満11歳の今上陛下に何の「戦争責任」がありますか。
「昭和天皇の業績を賛美している」と言いますが
先帝の平和への御努力を讃えて何が悪いのでしょう。
実の父であったからこそ、間近でお聴きした秘話なども山ほどあったことでしょう。
父帝を糾弾し憲法に定められている皇位継承を放棄せよとでもいうのでしょうか。

もし「そうすべきだった」というなら、その牧師さんに私は言いたいのです。
「あなたの父親、祖父はどうだったのですか」と。

従軍慰安婦に関する活動で有名だった既に故人の女性活動家が
あるテレビ番組で「軍人だったあなたの父親は人を殺したことはないのですか」
との意味のことを問われ、「私の父はクリスチャンでそんなことはしなかった」と口を濁したのを
記憶しています。皆呆れていました。
直接人を殺していないから罪責は無い、キリスト教の罪責観は
そんな軽いものではないはずです。
敵兵を銃剣で刺突するよう命じられて生涯苦悩したであろう一兵士より
戦争体験のないこの享安山人のほうが遥かに重い罪人でも有り得るのです。
主は心を見られる御方なのです。

私は言いたいのです。
一国の君主・大元帥と一国民の罪責の重みは違って当たり前だ、
向こうは命令した立場だが、こっちは命令に従っただけだ、
死に追い遣った人間の数も全然違う、というのはこの世のものだと。

天皇が一個の人間で、主なる神によって審きを受けるということは
同じく一個の人間のその牧師さんの父や祖父も罪責を問われるということだと。
キリスト教の罪責観というのは、
「自分の罪は天皇よりは死に追い遣った人間の数が遥かに少ないから軽いだろう、
命令されただけだから軽いだろう」というものではないと。

私は言いたいのです。
終戦時満11歳だった今上陛下に、終戦後67年以上を経てから
謝罪、そして憲法に定められた責務である皇位継承を放棄せよというのであれば
同じく一個の人間であるあなたはどうやって父祖の罪責を担うのですか、と。
父や祖父の辛い辛い過去を抉り出せますか。
具体的にどうやって誰に謝罪するのです。被害者の霊ですか。遺族ですか。
その際、自分が父祖から受け継いだ一切のものを放棄する覚悟はあるのですか。
文字通り自分の生活が、自分が子供だった、或いはまだこの世に
存在もしていなかった当時のことで激変するのを受け容れる覚悟はあるのですか。
この享安山人にはありません。他者にも求めません。
ことある度にその言葉が引用されるヴァイツゼッカー元大統領は言いました。
「罪とは、個人的なものです」と。私もそう思います。

私のことを言います。
私の父方の祖父は秋田県の小作人で、召集後(太平洋戦争に入ってから)
満洲で治安維持の任にあたりました。
具体的なことは一切語りませんでしたが抗日戦の「匪賊」を或いは死に追い遣ったかもしれません。
幸運にも終戦前に内地へ配置転換になり、ソ連軍の侵攻を迎えることは免れました。
既に故人です。

母方の祖父は、同じく秋田県で自作もしつつ小作人を雇う農民でした。
日中戦争の頃から陸軍の幹部候補生として身を中国戦線に置きました。
直接祖父の手によって命を落とした中国人もいるかもしれません。
部下への命令によって中国人を実際に死に追いやったことも十分に考えられます。
母方の祖父も同じく具体的なことは殆ど語りませんでした。
ただ、朝鮮人の兵士がいて行動を共にしたこと、東條首相のことを
「勝つ勝つといっておいて・・・!」と憤っていたこと、軍馬の苦労を思って
絶対に馬肉を口にしなかったこと(これは母から聞きました)、などを記憶しています。
同じく故人です。

両祖父とも生還できましたが、それぞれ弟、つまり私の大叔父を亡くしています。
共に輸送船で移動中に敵に沈められての死です。
どちらかは硫黄島へ向かう船だったと記憶しています。
無事島まで辿りつけても十中八九悲惨な死を遂げていたことでしょう。


二人とも、私にとっては愛する祖父です。私を慈しんでくれた祖父でした。
私は両祖父の救いの為、犯したであろう罪責の為に
主なる神に祈ることはできますが、自分がすること、そしてすべきと考えるのはそれだけです。

もし私に「戦争の罪責」があるとすれば、先人の苦しみに学ばず
再び他国、他民族を苦しめるようになった時です。

これを私はその牧師さん(遠い地に住む方ですが)に
何らかの形で直接言うべきかもしれません。涙を流しつつ唾を飛ばして
面と向かって激論するのが正しいことでありましょう。
しかし、私にはその勇気も労を費やす気力もありません。

ただ、どうしても言いたかったのです。
わずかに教会の長老さんには上記の要約をお伝えしました。

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コメント

素晴らしい判断ですね!
まともな判断が素晴らしいです!

Arthurさん、こんばんは。「まともな判断が素晴らしいです!」とのお話ですが、それはどう受け取れば良いのでしょうか。私としては本当に苦悶しつつこの結論に至っているのですが、具体的な感想を宜しければお聞かせください。

「親の因果が子に報い…」
昔の見せ物小屋の口上ではあるまいし、この牧師は因果律に立つのか?

明治以来の日本のキリスト教への(ノンクリスチャンも含めての)尊敬心が瞬時に砕け散るような発言ですね。

父親達は入営しますと、真っ先に名前を清書させられたのですよ。戦死したら陛下がお読みになるのだから、丁寧に書けと。
明治天皇は日露戦争の最中、戦死者名簿を毎日のようにお読みになりながら、今日は山田が多い、今日は鈴木が多いと…漏らされて、傍目にも大変なご辛労ぶりであったとか。昭和天皇はその何十倍もの戦死者の名簿を読まれています。

立憲君主制の憲法上、如何に無答責とはいえ、天皇はその兵士らの死を一人一人名のあるものとして受け止めねばならない存在でした。天皇の軍隊に無名戦士はおりません。

自らに法的責任はなくとも、全ての命令に係る罪を引き受けるのが天皇の立場であるならば…その「機能」についてはクリスチャンの皆様の方がよほどお詳しいのではありませんが。

しかしながら、キリスト教は一般に愛の信仰であると言われ、私もそのように理解しています。その隣人愛が最も重要かつ具体的な形をとるのは「人を裁かない」という箇所ではないのですか。

まるで自らが神になったような傲慢さで人を裁き、罪をあげつらい、謝罪を命じる。これほど非キリスト者的な態度が他にありましょうか…。文革の時の紅衛兵の口調を思わせますね。

と、ノンクリスチャンに言われてしまう牧師もいるのですね。享安山人さんが彼にに会う機会もなさそうですが、遺憾、残念を超えて、滑稽としか言いようがありません。一体、これは何のキリスト教でしょうか。

レッドバロンさん、こんばんは。厳しい御言葉ですが、そう言われるのもやむを得ないと思います。同じ教会に連なる者として、自分自身のこととしても受け止めねばならない事です。私はキリスト者であると共に、この日本国に生き、死んでいく日本国民であり、その国の根幹としての皇室を大切に思う者です。教会にはさまざまな考えの持ち主が集まりますが、「牧師先生がああ言われるのだから」と自分を喪うようなことはしたくありません。

「世界の凡ゆる国が日本を悪く言つてゐます。併しどれ一つ日本に向つて石を投ずる資格ある国とてはありません。けれどそれだからと言つて、日本は曾て一度も悪い事をしたことの無い国だとは言へないでせう。・・・我々基督者はどうしたらよいでせうか。国民を責めましても、その責め言葉は結局己が頭上に返つて来ます。国民を憐れみましても、我々には小石一つ取り除く力はありません。けれども若し国民が間違をしたならば私が其の罪を負ひませう。私が其の為めに死にませう、之は誰にも出来る事です。それが悲哀の人であります。斯く神の正義の為めに悲哀の人の生涯を送ることによつて、基督者は地の塩世の光となり得るのであります。悲哀の人に非ずして、どうして地の塩世の光となり得ませうか。我々は皆早晩死ぬのであります。誰でも畳の上で大往生を遂げたいと思ふ、併し出来ないかも知れない。・・・唯我々は神の真理と共に生き、神の真理と共に死にたい。悲哀の人の報いは天に於て豊かであります。・・・救はイエスによりて人類に顕はされ、救は彼の十字架によつて人類に与へられました。我々も亦時が熟したら、死ぬる為めに進みませう。」(1933(昭和8)年の矢内原忠雄の言葉)
最近のキリスト教思想界では、イエス・キリストの犠牲・贖罪すら「何かの為に、誰かの代わりに死ぬのは否定されるべきだ」という考えが入って来ているようですが、基督教徒の取るべき姿勢は矢内原のこの言葉に尽きるでしょう。

怯懦なる享安山人ですが、祈りによって悲哀の人に変えられることを願っています。

我が日本キリスト教会の先人・女性牧師の植村環は戦後米国に渡り、「日本には天皇が必要なのです」と米国社会に訴えた人物でした。「天皇はお気の毒です」という植村の言葉が遺っています。昭和天皇が一時期聖書の御進講を受けられた際に講師を務めたのがこの植村牧師でありました。しかし、いくら先人の業績が素晴らしいものであってもそれはあくまで当人のもの、後進は後進なのですから、その先人の業績をどう実際に受け継ぐかが大事です。

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