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近代日本の基督者たちを偲んで思うこと

思いつくままに私が今まで著作を通じて接した
基督者を挙げますと

内村鑑三、新渡戸稲造、矢内原忠雄、藤井武、
山室軍平、賀川豊彦、植村正久、植村環

といった人々を挙げることが出来ます。
それぞれ苦難の人生を歩み、己の罪と闘い続け、
時には他者と抗い、傷つけ合いました。

たとえば内村と新渡戸は生涯を通じての友人でしたが
二人の仲は決して常に順風満帆だったわけではありません。
有名な「一高不敬事件」の時、傷心のうち札幌を訪ねた内村に
新渡戸は冷淡にも「馬鹿なことをしたものだ」と言ってしまったとか。

国賊よ乱臣賊子よと罵られる中、妻を病で喪い悲嘆の底にあった内村でした。
その葬儀を行った際、葬列の後ろに騎馬で従い
威儀をそえたのは、内村の札幌農学校での1年後輩、
大のキリスト教嫌いであったはずの国家主義者・志賀重昂でありました。

そういう「ノン・クリスチャン」の存在を知る時、
私は志賀のような人はまぎれもなく神に祝福された人だと思うのです。

志賀のような人が天に迎えられて
「ナザレのイエスよ、私がいつあなたの為に何をしたのです」と驚いて問う。

すると主イエス・キリストはお答えになる。
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである」(マタイによる福音書25章40節)と。
これは私の夢想ですが、同時に希望であり、信仰でもあります。

「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを
望んでおられます。」(テモテへの手紙1 2章4節)のですから。

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