最近のトラックバック

« 近代日本の基督者たちを偲んで思うこと | トップページ | ある人からのコメントを全削除します »

「うたてしやな」

「田舎の児の桜の散るを見て泣く事」 (巻一 第十三話)

(原文)
 これも今は昔、田舎の児の比叡の山へのぼりたりけるが、桜のめでたく咲きたりけるに風のはげしく吹きけるを見て、この児さめざめと泣きけるを見て、僧のやはら寄りて、「などかうは泣かせ給ふぞ。この花の散るを惜しう覚えさせ給ふか。桜ははかなきものにて、かく程なくうつろひ候ふなり。されどもさのみぞ候ふ。」と慰めければ、「桜の散らむは、あながちにいかがせむ。苦しからず。わがてての作りたる麦の花散りて実の入らざらむを思ふがわびしき。」と言ひて、さくりあげて、よよと泣きけるはうたてしやな。

宇治拾遺物語の中の一文である。
この文に初めて接したのは高校時代、古文の教科書に於てであった。

「わがてて」=この田舎の児の父親が丹誠込めて育てたであろう麦が実らなければ
この農夫一家はあっという間に窮迫し、最悪の場合餓死に追い込まれるであろうに
それに思いを致すことができず、花が散ることの無常のみを詠嘆し、
挙句「うたてしやな」。「ああいやだ」と。
人間(じんかん)の無常を悟れぬ凡夫の愚かさよ、
下賤の者の執着の強さよと筆者は思ったのかもしれない。

王朝貴族の一人らしいこの筆者の価値観は、当然平成の御代に生きる
私とは遠く異なるものである。ましてや今の私は一人の平民労働者なのだから。

高校を卒業して20年も経った今でも思う。
この筆者は、四書五経も学んでいたであろうに、なぜここまで農民への
労わり、思い遣り、下々への仁愛の心が無いのだ、と。
「さくりあげてよよと泣く」児の心の痛みを理解しようとしないのだ。

なぜこのような文章が古典教科書の冒頭に載っていたのだろう。

仕事場からの帰途、ふと思い出して憤りをあらためて感じた故に記す。

« 近代日本の基督者たちを偲んで思うこと | トップページ | ある人からのコメントを全削除します »

歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

享安山人さん、こんばんは。

「うたてし」はうたで(転て)の形容詞形ですね。

享安山人さんの仰るような意味の他に、

気の毒だ、心が痛む、の意味があります。

宮の御運のほどこそ うたてけれ… (平家物語四)などの用例があるようですよ。

そうでないと 農民の子の悲哀を(かなり正確に)書いている文脈と繋がらないような気がします。私はちっとも古文は得意ではありませんが、いささか気になったものですから。お時間のある時に、古語辞典で確認なさって下さい。

せっかくの日本の古典です。秋の夜半、どうかお心安けく。

レッドバロンさん、こんばんは。目から鱗が、とはこのことでしょう。遥か昔、高校で「ああいやだ」との解釈を恩師から教わり、教科書にもそうあったので、それのみにとらわれていました。この筆者、なんと無情な人間だ、と痛切に思ったものです。漢文は好きでしたが日本の古文は駄目でしたね。源氏物語のどこか忘れましたが「おほとのごもらで」と試験に出たのが皆目分からなかったのですが、「(光る君が)お休みにならずに」という意味だと知ったことを今でも覚えています。

引用された平家物語の一節は平家打倒のため挙兵した以仁王を悼んでのものですね。先ほど古語辞典を当たってみたのですが、ちょうど例示でこの宇治拾遺物語の説話が引かれていて、それでは「いやなものだ」となっていて教科書通りなのですが、もし筆者が「興醒めではあるが痛ましいことでもある」と両義をかけていたなら随分読み方も変わってきます。

以仁王の最期はおいたわしいものですが、後白河院にとっては我が皇子が自分を救うことを目的にもう一人の皇子の高倉院に反逆した結果落命したことでもあり、その御胸中はやりきれないものだったでしょう。この時代の人々は源平両氏は無論のこと、皇室でも摂関家でも皆決して幸せではありませんね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「うたてしやな」:

« 近代日本の基督者たちを偲んで思うこと | トップページ | ある人からのコメントを全削除します »

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ