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矢内原忠雄が激怒した時

私が内村鑑三と並んで尊敬する矢内原忠雄は
戦時下の出来事について日々憤激し続けていた人です。
戦時下に聖書講義雑誌『嘉信』に載せ続けた短い言葉にも
その苦悩と怒りは窺うことができます。

ある時、矢内原が文字通り激怒したことがありました。

当局の妨害をはねつけて名古屋で聖書について講演しようとしたある日
地元の新聞社に「矢内原の講演会は中止となりました」と電話があったそうです。

ところが、それは誰かの嫌がらせ。矢内原は中止するつもりなど全く無く
地元新聞に「中止」の報が載せられて講演会場が閑散としているのに愕然とし
文字通り激怒も激怒、「かかる卑劣な嫌がらせをするとは」と
「私はこのような者と同じ日本人であることを愧じる」とまで絶叫したそうです。

怒るべき時には人は怒るべきでありましょう。

そのような人だからこそ、自分を国賊よと罵倒した極右知識人・蓑田胸喜が
戦後自殺した時に「彼は私を真剣に攻撃したから」と
キリスト者の赦しの精神とあわせて蓑田を赦し、
その冥福を祈ったのだと思います。

自分を真剣に攻撃する人に対しては至誠を以て応じ
揶揄中傷する人にはそれ相応の怒りと軽蔑を以て応じる。
慈愛の姿だけではなく
旧約聖書の苛烈な預言者に似たこのような態度もまた
誠実なキリスト者・矢内原の一面でした。

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歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

「サザエさん思い出話」に矢内原総長の英姿が出てきます。(長谷川町子さんのお母様が矢内原先生の聖書講読会に参加してました)

教会のすぐ近くに住んでおられた先生は、りゅうとした背広に下駄履き姿で現れ、とにかく大変なご威厳だったそうで。遠くから下駄の音が聴こえてきた途端に、場内は粛として声もなし。ある時、講話中に誰かが欠伸をして
「ふまじめな!」「出て行きなさい!」と、凄まじい雷が落ちたそうです。

しかしやがて、死期を悟った矢内原先生は 愛弟子の婦人達に「長谷川さんと仲良くして上げてね…」遺命を残されていたそうです。本当に厳しくもあれば、さらに優しくもある矢内原総長でした。

享安堂さんの仰せの通り、真っ向からの批判と誹謗中傷は違います。他に表現手段のない人に限って、ネットを悪口雑言の場と化してしまう。ほとんど名誉毀損と侮辱罪のオンパレードというサイトもありますからね。何らかの規制が入るのは必至かと思います。人間のやらかすことは、何千年前から本当に変わりありません。

レッドバロンさん、こんばんは。長谷川町子さんと矢内原忠雄先生のつながりは初めて知ることができました。ご教示、ありがとうございます。写真で見る矢内原忠雄の顔はまことに凛々しく、且つ峻厳そうで「弟子さんたちは怖かっただろうな」と感じました。しかし「義」が厳しさと慈愛と表裏一体であるように、厳しくもあり慈愛に満ちた方だったのだろうと思います。嘗て学生時代、卒論を書いている時に偶然矢内原先生が戦時下に卒業する学徒へ贈った言葉を目にして、図書館で思わず涙ぐんだこともありました。

私が他者を批判する時にせめて心がけていること、それは「真剣に、本気で批判しよう」です。これは蓑田胸喜に対する矢内原先生の姿勢から学ぶこと大でした。ここを御覧の皆さんも色々異論などあろうかと思いますが、それが真摯なものであれば私も出来る限り誠実に応じていくつもりです。

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