最近のトラックバック

« とある古書店に、ギボン『ローマ帝国衰亡史』全11巻(筑摩書房)を予約しました | トップページ | 「下愚は移らず」 金正日とその徒党の愚劣さ »

教会で「現代における貧困の問題―キリスト教的視点から」と題して礼拝後勉強会を開きました 以下は私の作成した資料と草稿です

「現代における貧困の問題―キリスト教的視点から」

2009年3月29日

 メディアを通じて現代日本社会の格差問題、貧困問題が語られるようになったのは私たちも既に知っています。キリスト者として、この問題にどう向かい合っていけばよいのか、この集いでささやかなきっかけでも得られればと願っています。

この問題を考える際に避けて通れないのが「自己責任論」―貧困に陥ったのは、本人の努力、才能が足りなかったからだ―という主張です。貧しい状態から身を起こし、名を後世に残した人間は確かに数多くいます。そういう過去の偉人や、自分自身の苦労した経験から説き起こし「ワーキング・プアは自己責任」であると。しかしその前に、その人に選択肢があったのかどうか、を考えることが重要だと、ニュースで有名になった「派遣村」の代表湯浅誠氏は著書『反貧困』(岩波新書、2008年)で指摘しています。氏は貧困に陥らずにすむ人々には「溜め」があると言います。失業しても、当面の生活費用や支えてくれる家族、次の仕事を探すための活動資金、などが「溜め」であるというのです。また、人一人が今の日本で大学に通えるようになるまで教育費がどれだけ掛かるか、を思っても、そういう「溜め」があらかじめ周囲の環境によって与えられている人Aと、そうでない人Bとを同一に「Aは努力したから、Bは努力しなかったから」と論ずることの乱暴さを湯浅氏は伝えようとしています。私的なことですが、心身ともに病んで仕事を辞めざるを得なかった私が今まで衣食住に不自由なく生活できたのは、両親と多くの方々の支えがあったからです。つまりは「溜め」が私にはあったから、貧困、そしてその最も進んだ段階と言える路上生活に追い込まれていないのです。

湯浅氏は「貧困状態にある人たちに自己責任を押し付けるのは、溜池のない地域で日照りが続く中、立派に作物を育ててみせろと要求するようなものだろう。」と述べます。貧困問題を考える時、そのことに思いを致して頂ければと願います。

資料篇

「近年、『ワーキング・プア』という言葉が日本社会でも知られるようになった。その言葉は、働ける状態にあるにもかかわらず、憲法25条で保障されている最低生活費(生活保護基準)以下の収入しか得られない人たちのことを指す。最低生活費は、たとえば東京23区に住む20代、30代の単身世帯であれば、月額13万7400円(生活扶助8万3700円+住宅扶助上限5万3700円)。夫33歳、妻29歳、子4歳の一般標準世帯なら、22万9980円(生活扶助16万180円+住宅扶助上限6万9800円)である。さまざまな税額控除も勘案すれば、大都市圏で年収300万円を切る一般標準世帯であれば、ワーキング・プアの状態にあると言っていい。」(湯浅誠『反貧困』岩波新書、2008年)

日本国憲法第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公共衛生の向上及び増進に努めなければならない。

「1990年代の長期不況以降、正規から非正規への雇用代替が急速に進み、・・・今や全労働者の3分の1(1736万人)が非正規であり、若年層(15~24歳)では45.9%・・・いわゆるフリーターの平均年収は約140万円であり、国税庁の発表では年収200万円以下の給与所得者が2006年、1022万人に達した。もはや、『まじめに働いてさえいれば、食べていける』状態ではなくなった。」(湯浅『反貧困』)

不況の中で企業が人件費軽減によって業績好転を目的とした結果。

低所得により、非正規労働者、無職者で国民健康保険料、国民年金保険料の支払いができない人々も多い。

「国民健康保険料については、2006年で480万世帯(19%)、金額で9.85%という高い滞納率が問題となっている。一部の新聞報道は、『払わない』人たちが増えたと強調している。しかし、その背景には・・・国民健康保険料と、それが所得に占める保険料負担率が上がり続けている、という事情がある」(湯浅『反貧困』)

日本のキリスト者は、貧困の問題に如何に取り組んできたか。

明治、大正、昭和「貧民街の聖者」 賀川豊彦(1888~1960)

1909年、神戸新川の「貧民窟」へ貧困層の人々への伝道と救済のために飛び込む。「荷車の上に私の凡ての財産―といっても蒲団と書物と衣類4、5枚―を積んで自分の手で新家の借家まで曳いて来た」(賀川『黙想断片 貧民窟と私』)。

丸山兵吉という男と二年同居する中の賀川の経験

「彼は木賃宿の宿賃を滞らせて、私の家へ来たのだが、・・・彼に食わすものがないので、三度の食事を二度に減らし、着て寝る蒲団がないので疥癬を患っている彼と一緒に寝て、私も皮膚をばりばり掻いたものである。この間を通じて私は、一枚の着物の使徒だと自らを任じていた。・・・日曜には朝から礼拝を始め、6時には辻で讃美歌を唱い、9時に日曜学校、午後は辻説教、晩は礼拝をこの6畳でした。

いざ立たん

新聞紙の室よ

さようなら

私はこれから

十四銭の下駄はいて

神の国、近きを

宣べ伝えに行こう

というような歌を、私はその当時雑記帳に書きつけている。・・・その当時は、その一枚の着物も、よく人が欲しがるので、脱いでは与え、自分は人から貰った女の着物を着ておったこともある。・・・今日でも、貧民窟の信者の家庭の子供などは、私が祈れば癒ると信じて、どんな病気でも連れて来て癒やされることを望むものがある。私も癒ると信じている。この種類の祈りでも、どんな祈りでも、私の信仰と祈はほとんど本能的である。哲学や神学が少しも入らぬ。『貧乏で困っているから神に頼む』というのが私のすべての神学である。で、もし、これで神が聞いてくれなければ、神様が悪いのだという考えを持っている。何故かというと、人間も見捨て、神様も見捨てるなら、貧乏人の立つ瀬がないではないか。・・・私の信者の中で、私の家で死んだ第一の男は安井であった。この男は染物屋の職工で放蕩の結果、私の宅で死んだのであったが、『天国へ帰る』といって死んだので、私はそれまで、天国など馬鹿にして、自分が肺病で苦しんでいる時でも、ゼームスやシュライエルマッヘル流に神への絶対の信頼は説いても、決して天国を信じなかったが、それから安井君に教えられて、天国への旅路が明瞭に見えるようになった。」(賀川『貧民窟と私』)

「貧民だからとて余り軽蔑しないで下さい。私達にも簡易生活と本然の愛の根底から湧き出る笑いがないでもありません。しかしまたその反対に、人知れず二畳敷きで、貧苦と、資本家の無情のために流す涙がないこともないということを知って貰いましょう。」(賀川『黙想断片 貧民窟の二畳敷より』)

「サムエル・ジョンソン博士は英語辞書を初めて作った人であるが、こんなことを云ふて居る―『どんな人にでも尊敬を払ひ得ない人はない。その人が成功すれば、その成功に対して、失敗すれば、失敗に対して尊敬を払はねばならぬ』と。・・・人間は人間として尊敬を受く可きだ。」(賀川『労働者崇拝論』)

生涯を通じて貧困問題、労働問題に取り組む。

現代

本田哲郎司祭(1942~) 釜ケ崎で路上生活者と共に生活する。

「いま、釜ケ崎で野宿をしいられるまでに大変な状況に追いやられている日雇い労働者の先輩や仲間たちへの支援という関わりをさせてもらっていますが、わたしたちは支援するときに、どうしてもこちら側に神さまがいるとか、自分の側から相手に仏さまの力を届けてあげるという発想になりがちでした。・・・それとは逆なのです。・・・『そうではない。神さまはむしろ、手助けを必要とするまでに、小さくされてしまっている仲間や先輩たちと共に立っておられるんだ』」(本田哲郎『釜ケ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共に』岩波書店、2006年)

「無理して、自分も小さくされている者の仲間入りをしなくてもいい。大事なのは、その人たちの思いを心から尊重し、その真の望みに耳を傾けて連帯し、その願いの実現にわたしたちがどれくらい本気で協力するかなのです。わたしの現場に限っていえば、野宿の人たちのほとんど、99.9パーセントの人たちは、他に選択肢がなくて野宿に追い込まれているということを、きちんと受けとめて、野宿しないですむ、就労による自活の道、もしくは福祉による安心できる生活をいっしょに実現させるような関わりを大切にすることです。・・・かってに相手の立場に立ったつもりで考えをめぐらし、それを押しつけないことです。相手の立場には立てないのです。相手よりも下に立つしかない。相手よりも下に立つとは、『教えてください』という関わりの姿勢にほかなりません。」(本田『釜ケ崎と福音』)

                               資料篇 了

学びの集い 享安山人による草稿

今日はこの集いを開くことができ、主に感謝申し上げます。私は、御存知の方もいるかもしれませんが、6年前の春に心身ともに病んで札幌での仕事を辞めて以来治療に努めつつ、現在障害者作業所に身を置いて中々進まないのですが社会復帰に取り組んでいます。ですからこのテーマは本当に他人事ではない、身につまされる思いで、短時間でその上、実に不勉強ですが取り組んだものです。ただし、資料篇での『反貧困』で書かれたことを繰り返しても、不勉強な私の話より実際に書物を読んでくださったほうがいいと思うので、今回は私の思うことなどを述べたいと思います。話が散漫になってもいけないので、貧困層の中でも最も苦しい立場にある路上生活者について考えることを述べていきたいと思います。

御存知のように主イエス・キリストは「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」(ルカによる福音書6章20節)とお説きになりました。マタイによる福音書の「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(5章3節)と共に、資料篇で触れた賀川豊彦先生や本田哲郎司祭、また内村鑑三先生や加藤常昭先生の聖書解釈などにも当たってみたのですが、果たしてどなたの解釈が正しいのか、主の御心を最もよく伝えているのかわかりません。ただ、主なる神が貧しい人々と共におられる、決してお見棄てになってはいないということだけは確固として私の心に根付いています。

私たちは、個々人としては日々の生活、家計のやり繰りに苦労している人ばかりだと思います。「金で人の心は買える」と豪語したある富豪のように、金が余って余って仕方がないという方はいないでしょう。しかし、日曜日に教会に通う生活を送れる、ということでは、確実に路上生活者のような経済的に困窮の極みにある人々とは違う、湯浅氏のいう「溜め」のある生活を送っているのです。そのことを重く踏まえていかねばならないでしょう。

大阪に住んでいれば、都心部、否枚方市駅前でも明らかに路上生活者と分かる人に接することになります。京橋や淀屋橋などに出るたびに、同様の人々に出会います。私がしていることといえば、財布に余裕がある時に、路上生活者自らが販売する情報雑誌「ビッグ・イシュー」(極めて知的な、硬派な中身の雑誌です)を300円を出して買うだけです。そんな私が、キリスト者として、何を為すべきなのか。本人も貧しいのに、それを顧みず救済活動に飛び込んでいかれた賀川先生のように生きるべきなのか。それが出来ないことを告白するのは簡単ですが、主はそういったことを弟子達を派遣なさる時に求められたのでは、という思いがあるのです。そういう思いに囚われた時に、まさに釜ケ崎で路上生活者と深く関わっておられる本田司祭の「ありのままでよかったんだ」という著書での言葉は、一種の救いとなりました。本田司祭は言われます、「別にあなたが貧しくなる必要はない。貧しくなる競争などしなくていい」と。自分が今「溜め」のある身であることを、そのまま主に感謝しつつ、社会の構造の歪みのために生きることが難しい状況に置かれている人々のために何が出来るかを考えればいい、と思うのです。

賀川先生は、貧民窟の中に飛び込んで「貧困は人々を罪に追いやる」という本当に悲惨な状態をその目で目撃されました。著書の一つ「貧民心理の研究」では現代の視点では非常に差別的と思える表現を使いつつも、所謂「清貧-清い貧しさ」というのがごく一部の人にしか体現できないことであること、貧困が、生きることが苦しい状況がどれだけ人間を罪へと追い遣るかを赤裸々に、貧民によるさまざまな犯罪などの実例を挙げて述べています。貧しさそれ自体は美しくも何ともない。人を罪に追い遣るからこそ、貧困はあってはならないのであり、それを許すような構造を変えなければならない。賀川先生が労働問題に取り組まれたのはそういう経緯からだと思います。そして、賀川先生も本田司祭にも共通するのは、貧困との戦いは、貧困層だけではなく、貧困を作り出している人々、つまり為政者や富豪といった人々のためでもある、ということです。

賀川先生は語りました。

「凡て人間は生きていく権利があるのだ。帝王だって生きて行きたい。ニコラス(ロシア皇帝ニコライ2世)も赦してやれ、カイゼル(ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世)も、・・・皆赦してやれ。我等に帝王を―否人間を死刑に処する権利は無いのだ。」と。(賀川豊彦『労働者崇拝論』)

私も、今与えられている「溜め」を活かしつつ、自らが社会に復帰すると共に、書物ばかりでなく、多くの方々と一緒になって「何をすべきなのか」を考えていきたいと思います。どうかお願いします。

主イエス・キリストに感謝しつつ、この発題を終えたいと思います。

« とある古書店に、ギボン『ローマ帝国衰亡史』全11巻(筑摩書房)を予約しました | トップページ | 「下愚は移らず」 金正日とその徒党の愚劣さ »

歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« とある古書店に、ギボン『ローマ帝国衰亡史』全11巻(筑摩書房)を予約しました | トップページ | 「下愚は移らず」 金正日とその徒党の愚劣さ »

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ