最近のトラックバック

« 記事が100回目を迎えることができました | トップページ | 一年を終えて 己と皆さんへの呼びかけ »

身辺のこと、及び天皇誕生日、そしてクリスマスを迎えて

またもしばらく更新が滞っていました。

身辺の雑事ほか色々なことを。

最近知人との間で些事に端を発した揉め事があり、色々思うことがあった。仮にも基督者の一人としては、当然和解すべきことが求められるのだが、その為に何を為すべきなのかと。白隠禅師ならば何事もただ笑いを以て、全てを己の非として相手を寛恕しただろうし、徳義の武人・乃木希典大将ならば只管己を省みることに努めたであろう。しかし小人でしかない私は、相手にも非がありはしないか、或いは謝ることは一種の卑屈ではないかと悶々としてしまう。基督者としては、ただ主なる神の御目に適うことは何か真剣に考え、祈りつつ道を模索するしかない。

12月6日土曜日、教会の知友と共に、修学院離宮近くにある日本クリスチャンアカデミー関西セミナーハウスまで電車と送迎車を乗り継いで行った。鈴木範久立教大学名誉教授による講演「『後世への最大遺物』の読まれ方」を聴くためである。私の尊敬する内村鑑三の講演禄『後世への最大遺物』が同時代の若者に、そして現代に至るまでの人々にどう受容されていったかを矢内原忠雄や大塚久雄、正宗白鳥、木下順二らの例から解き明かしていくものであった。講演自体は鈴木先生の意向で比較的短く、後は参加者との雑談による内村思想の解き明かしが主なものであった。仏教徒にも及んでいた内村の包容力など話は多岐に及んだが、私が特に心にとどめたのは「天職というものは、青い鳥のように探せばどこかにあるものではない。目の前の事に地味に取り組み続けてはじめて見出せるものである」との内村の言葉からの引用であった。日々自分に求められることにただただ真面目に取り組んでいくことで最後には天職に至る、その希望を棄てないでこれからの日々を歩んで生きたい。

「真面目なる生涯」を無位無官、無名の人間でも送り得る、それが「後世への最大遺物」だとの『後世への最大遺物・デンマルク国の話』は岩波文庫に収録されている。興味をお持ちの方には是非一読をお勧めする。

翌週12日は枚方市内のラポール枚方で、障害者向け就職面接会が開かれ、私を含め作業所から3人が参加した。応募者約百人に対して、求人企業はおよそ10社。求人数は各1人。私は某建設機器業者と病院の事務に応募したのだが、結果は二者とも不合格に終わった。自分としては力を尽くしたつもりなので残念でならないが、希望だけは棄てないようにしたい。

23日、天皇誕生日。我国と国民統合の象徴であり、日本の歴史と伝統の体現者であらせられる陛下の御長寿と平成の御代の長久を願う。陛下には御体調の思わしくない中一般参賀の人々に御自らお応えになり、我ら国民の経済的窮状を案じられた。国民の一人として感謝である。

そして今日24日。先日日曜日にクリスマス礼拝を行ったのに続いてのイヴ礼拝日である。昨年も記したが、全ての人の為に十字架に掛かって人類の罪を贖い給うた主イエス・キリストの御降誕を永久に記念する礼拝を行う。私は聖歌隊の一人として教会の礼拝に参加。歌の練習に際しては知友や牧師も私に大いに協力してくれたので、その厚意を無にしてはならぬと思い歌ったが、お世辞にも上手いとは言えなかった。

去年も書いたが、主の恩寵はキリスト教徒のみならず、キリスト教を信ぜぬ人、信じられぬ人にも遍く及ぶものであり、それ程に主の愛は深いというのが私の信仰である。またこれは内村鑑三が多くの葛藤を経て至った境地でもあった。クリスマスどころではない、そんなの知ったことではない、という人々も数多いるであろう。そういう人々にも主の御眼差しは向けられているのだと私は信じている。

最後に。来月末頃に小田菜摘『そして花嫁は恋を知る』(集英社コバルト文庫)の最新巻が出るとのこと。またささやかな楽しみが一つできた。

« 記事が100回目を迎えることができました | トップページ | 一年を終えて 己と皆さんへの呼びかけ »

歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 身辺のこと、及び天皇誕生日、そしてクリスマスを迎えて:

« 記事が100回目を迎えることができました | トップページ | 一年を終えて 己と皆さんへの呼びかけ »

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ