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乃木希典大将

最近、思う所あって乃木希典大将についての書物を幾つか読んでいます。司馬遼太郎の『坂の上の雲』『殉死』などによって「軍人としては無能」との印象が強い人物ですが、大将が「徳義」を自ら体現しようと常に苛酷な努力を自らに課し、部下の将兵を労わる念の甚だ強かったこと、戦死者と遺族に対する責任感の強烈だったこと、明治天皇への清冽な忠誠心などに強く惹かれています。

ただ、大将には史学者や伝記作家によっても解決をみていない一つの疑惑があります。彼が有名なのは日露戦争における第3軍司令官としての旅順攻略戦ですが、ここで問題とされるのは日清戦争での旅順攻略戦における清国兵及び民間人の虐殺事件です。近著では一ノ瀬俊也『旅順と南京―日中五十年戦争の起源』(文春新書)が兵士、軍夫による日記を通じてこの虐殺事件を生々しく伝えています。その時、虐殺命令を出したと言われるのが山地元治第一師団長。その部下が乃木第一旅団長だからです。福田和也は『乃木希典』(文春文庫)で「踏み込まないでおく」と論評を避けています。松田十刻は『乃木希典』(PHP文庫)で「乃木旅団が住民の大虐殺をしたという事実はない」と述べ、虐殺への関与を否定しています。当の乃木自身は何も語ってはいません。もし乃木が虐殺に進んで関与し、捕虜や住民を虐殺せよと命じたならば、彼の「徳義」とは一体何なのかという深刻な問題が生じてきます。古くは芥川龍之介が日露戦争での描写ですが『将軍』で嬉々として間諜を「斬れ!斬れ!」と命ずる乃木を描いています。

私自身は10年後の日露戦争における旅順陥落後の

「閣下の頬には涙が見えた。そして私を見るとこういわれた。今は喜んでいる時ではない、お互いにあんな大きな犠牲を払ったではないか」

(S・ウォシュバン、目黒真澄訳『乃木大将と日本人』講談社学術文庫)との言葉から、乃木が虐殺をよしとする人間だとは思えないのですが。

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歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

乃木は隷下の部隊が虐殺にはほとんど関与していないので、彼の責任はないか、あってもごく限定・間接的なものだと言われています。

かえるさん、初めまして。投稿ありがとうございます。

>彼の責任はないか、あってもごく限定・間接的なものだと言われています

そうでしたか。ご教示ありがとうございます。乃木大将についてはこれからも自分なりに学んでいくつもりです。

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