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10月末に京都知恩寺の古書市に行きました

先日記した函館旅行の前日、10月31日に京都大学の北にある知恩寺(有名な知恩院とは全く別の場所にある寺なので注意)で開かれた古書市に行ってきました。目的の一つは、現在集めている矢内原忠雄全集の一部を入手すること。

10時前に寺の境内に入ると、既に多くの主に中高年の客が、雨除けのブルーシートをかぶせた店の前に集まっていました。目当ての店に行くと、横にある別の店では何十人もの客が今やと開店を待っています。そして店員が本部のアナウンスと共にシートを広げるやいなや店に殺到、我も我もと歴史関係の資料を抱え「これ下さい」と店員に詰め寄っています。『南北朝遺文』と書かれた十数冊の部厚い書物を背中を反らして抱え込んでいる人もいました。余程の掘り出し物があるのかと店を覗こうとしたのですが中々近寄れません。そのうちに本来の目的の店も開業したのでそちらに移動、残念ながら既に持っている分を含めても全巻揃いとまではいかないのですが、1冊700頁ほどもある矢内原全集を8冊ほど、1巻なんと200円で購入できました。持参した鞄がずっしりと重くなりましたが、これしきのことでと手が痛くなるのを我慢です。慾は深まるもので、矢内原全集のほかにも歴史書などが欲しくなり、例の隣の店で唐の玄宗皇帝と本朝鎌倉初期の宮廷権勢家源通親の伝記を購入。更に境内を三時間ほど歩き回り、小泉信三全集の中で立憲君主制についての論を集めた1冊や、乃木希典の伝記、欧州諸王室の現代史『ブルー・ブラッド』などを手に入れました。時間が経つにつれ客も増えてきたのですが、昼が近付くと学生の姿が目立つようになりました。

出費がかさんだのでそれ以上買うのは諦めて帰ることにしたのですが、荷物が重い重い。両手で本を詰め込んだ鞄と袋を持ち、京阪電鉄出町柳駅までの道のりを何度も何度も休みながらやっとの思いでたどり着きました。

私がこうも書物に執着するのは、幼少の頃からの本好きということのほかに、とにかく知識を付けたい、古今東西の人々から生き方を少しでも学びたいという思いからです。「自分の目と耳しか信じない」という言葉もありますが、私の考えを言えば一生のうちで自分自身の見聞きできる経験など些少なものでしかありません。サラリーマンだった頃も休日は持ち帰りの仕事が無い時は専ら読書に時間を費やしていました。

人間、たとえ生涯を懸けたとしても得られる知識は大海の中から雫一滴を掬うようなものだとは知っています。しかし、何も知ろうとしないのと、自ら知ろうと努めるのとでは大きな差があるのではないでしょうか。

矢内原全集を読んでいて思わず胸が痛くなった一言に

「内村先生は良い時に天に召された。先生の心臓は、満洲事変以降の日本の歩みには耐えられなかったであろう」との意味の言葉があります。神を愛し、平和を愛し、世界を愛し、日本国を愛し、皇室を愛し、武士道を愛し、平民を愛した内村が、昭和の暗い時代の全てをもしその目で見る事になれば、その悲憤は如何ばかりであったことか。

善き書物を持つ機会を与えられた事、ただ感謝です。

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