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思うこと「人を安易に裁くな」 19世紀初頭の欧州史及び内村鑑三の思想を通じて

最近、ナポレオン1世関連の著作を幾つか並行して読んでいます。それらの著作を通じてあらためて知った事の一つが、当時の王侯貴族の性道徳の乱脈ぶりです。国家、社会の上層たる彼らが、基督教を秩序の源泉として振りかざしながら、その私生活たるや主イエス・キリストの説いた道からなんと外れている事か。墺外相メッテルニヒ、仏外相タレイラン、共に何人もの人妻を愛人とし私的関係からウィーン会議の行方を左右する有様。史書を紐解きながら時にげんなりする事もあります。しかし、私は政治家としては彼等を、ロベスピエールのような私生活上は清廉潔白な革命家たちより遙かに高く買っています。貴族としての民衆蔑視、傲慢かつ高踏的な姿勢にもかかわらずです。何故か。彼らは殺人を基本的に忌んだからです。彼らの手が真っ白と言う訳ではありません。「国益」の為に戦争に訴える事もしばしばです。また、特にタレイランには、ブルボン朝の分家コンデ家のアンギャン公爵に無実の罪をかぶせ、ナポレオンに処刑させた罪過があります。しかし己が理想の為に大量殺戮を厭わない革命家よりは、彼らは現実の人命の尊さをわきまえていました。理想の為に人命を犠牲にするのではなく、変節漢と罵られようが「国家と民衆の現実の生命、生活の為に今現在何が最善か」を常に追及しました。為政者が個人的にも尊敬できる人物であれば、それに越したことはありませんが、才徳兼ね備えた人物は中々見出しがたいのだと歴史を学ぶ度に思います。

次に、人間の思想の評価について。某所で内村鑑三を『余は如何にして基督教徒となりし乎』などに見られる予定説の理解から、ノン・クリスチャンに対して極めて冷酷な人物であるかのように評しているのを見ました。自分達は神に「選ばれている」から救われるが、他の「選ばれていない」人については関知しないと決め付けている人物であるかのように。しかし、内村は歳を重ねるにつれ神は基督教徒、他教徒を問わず万人を救うことを望まれ、またかくせらるる御方なのだと思想を深化させていきます。学生時代、私の指導教官は言っていました。「思想家を評価する時には、その人の全集、全著作を読んでから判断しなければならない」と。当時は「そんなの無理だ」と思っていたのですが、今になってみればその正しさが分かります。人生の一時期の著述のみでその人を判断する事はできません。時に矛盾することも言うでしょうし、思想を深化させることもあるのです。それは又同時に「思想」を語ることの難しさを示しています。

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