最近のトラックバック

« 一栄一落是春秋 | トップページ | 私の強迫性障害について(不定期連載)・その4 »

日曜日だけキリスト教信徒?の私

昨日敬老の日、京都府八幡市の「四季彩館」で教会の「修養会」が開かれました。私を含め20人弱が参加。京阪電鉄八幡市駅からマイクロバスで10分程の場所にある、木津川ほとりでの集いです。礼拝のあり方について牧師の講義に続き、昼食を挟んで教会員同士で話し合いを持ちました。

修養会も終わりに近付いた時に私が日頃の悩みを語りました。「日曜日の礼拝の時に『罪の告白の祈り』があり、司会者に導かれて皆が各々(心の中で)一週間に犯した心や行いでの罪の赦しを神様に求めますが、私は礼拝が終わり家に帰るとすっかり世俗に戻ってしまい、一週間経てばまた同じような罪を犯しています。どうすればいいか皆さんのアドヴァイスを頂きたいのです」云々と。何人かの方から「私もそうですよ」との話があり、また「罪の赦しを希うことが許されている。その場が与えられている事に感謝しなければいけない」との言葉を頂きました。主イエス・キリストによって罪の贖いと赦しが与えられている事を常に想わねばならないのだと感じた次第です。

« 一栄一落是春秋 | トップページ | 私の強迫性障害について(不定期連載)・その4 »

歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日曜日だけキリスト教信徒?の私:

« 一栄一落是春秋 | トップページ | 私の強迫性障害について(不定期連載)・その4 »

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ