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読書感想 古川隆久『大正天皇』(吉川弘文館)

大正天皇といえば、「明治と昭和の間で影の薄い天皇」「病弱、蒲柳の質」「『遠眼鏡事件』に見られる奇行の持ち主」などが世上に流布する印象として挙げられる。そのような大正天皇像を打ち砕くべく上梓されたのが原武史『大正天皇』(朝日新聞社、平成12年)であった。開明的で平民にも親しく声をかける気さくな天皇の姿を紹介した事は、確かに旧来の偏見を打破するのに大きな功があったといえよう。しかし、固陋な宮廷官僚らがそのような天皇を忌み、皇太子裕仁親王を摂政に据えることで天皇を「押し込め」たという原の見解には様々な批判が寄せられた。その批判を史料を用いて実証したのが、本書である。

古川は大正天皇の「気さく」な面には影があったと主張する。「他人に対する配慮を欠いた、・・・軽率な行為」であると。皇太子時代の行啓に際し、しばしば近臣に告げる事もなく予定を変更したことなどは関係者に多大の迷惑をかけたというのである。その具体例などは本書を見て頂くとして、即位後の君主としての言動にも古川は厳しい。「天皇になったあと、統治権の総攬者として、すぐれた見識を示したと周囲に認識されたことはなく、周囲から十分な信頼や尊敬を集めるような挙措を示すこともあまりなかった。」それらの根本的原因を古川は「虚弱体質による宿命」と記す。君主としての政治的功績という点では、確かに大正天皇には明治、昭和の二代に比べ「顕著な治績を残せ」なかった。古川は、原の「天皇押し込め説」に対して、様々な史料を用いて大正天皇が心身ともに異常を来たし政務を執る能力を失っていたのは事実と断定、原説を批判する。私も古川と同意見である。但し古川が大正天皇の能力に消極的評価しか与えないのに対し、私は天皇の教養人としての品格、そこに込められた自省の態度を高く評価する。教養もまた歴代天皇を評価するには欠かせない視点なのである。

「おしなべて人の心のまことあらば世渡る道はやすからましを」

「思ふ事うちにこもればおのづから色にも出づるものにぞありける」

「さやかなる月にむかへばなかなかに心ぞくもる昔しのびて」

本書中紹介された御製のうち三首を挙げる。拝読して思わず胸がつまった。これ程の佳作を残された方が、脳膜炎の後遺症から心身ともに病まれて、政務を執れなくなり、しかも病についての御自覚もなく、皇太子が摂政に就任された後には「己れは別に身体が悪くないだろー」と侍従武官に仰るのである。余りにもおいたわしいと申し上げる他無い。

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コメント

 大正天皇はまことに不憫な方である。そもそも大正という言葉が明治大帝とともに殉死なされた乃木大将を彷彿させるものだとおもう。要は明治の亡霊的な悲喜劇を一身に背負った天皇だったのではあるまいか。明治は良かったが昭和前期はだめだったと司馬遼太郎は言ったが、まさにそういうことを突詰めると大正天皇を暗愚と仕立てた歴史雰囲気も納得できるのではないか。
 とにかく、日本のマスコミに今だ信念ありと認められないのは、往時よりの国民の蔑視にありと思えなくはないか。

初めまして。大正天皇については更なる学界の研究が求められていると思います。私の知る限りで戦後に出された伝記が二冊しかないというのは如何なものかと。貞明皇后は昭和時代、夫君の肖像画を掲げた御堂で亡き天皇の霊に生けるが如くに仕えるのを常とされたそうですが、余人には分からない徳のある御方だったのでしょう。

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