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陛下の御辛苦に感謝して

天皇陛下が、今日17時過ぎ、退位を正式に、
内外に宣明された。

まもなく、平成の御代が終わる。

この30年間、まさに全身全霊で
天災などの罹災者を慰め、
過去の戦禍でむごたらしく亡くなられた方々を慰霊され続けた。

平成の30年、決して「栄ゆる安けき御代」ではなかった。大震災、近年の惨めなまでの政治の堕落などきりがない。

しかし、そんな中、陛下は懸命に
御自身に課せられた責務を果たされた。

国民の一人として、心から感謝申し上げたい。そして、陛下を一人の人間として、尊敬していることも述べておきたい。

また忘れてはならない。
陛下も私達の尊い隣人であり、
主なる神の御慈愛の対象であるという事を。

主イエス・キリストの十字架での死を覚えて

今日は、キリスト教では、「受難週」でとりわけ重んじられる日、金曜日です。
主イエス・キリストが人々に嘲りを受けつつ、十字架にかけられ、むごたらしく殺されていったまさにその日が金曜日でした。

主はその死に至るまで、ひたすら肉体の苦しみと、御自分が救おうとされている人々自身から浴びせられた嘲笑を耐え忍ばれました。

私は信じます。
その死が、過去、現在、未来、
全ての人のあらゆる罪を贖う為の死であったことを。

さまざまな議論があります。
⬆︎に反対の論もあり、
寧ろ私の属する教派の流れでは、
「全ての人の為」ではない、との主張が
主流だったと言って良いでしょう。
しかし、私は自分の真情として、
あらゆる人々の救いを切実に願い求め、祈ります。

また、自らの為にも祈らざるを得ないのです。
ツイッターに記した私の言葉。
「愛なき我に愛を。肉慾のみの我に聖潔を。
殺意に満ちた我に仁慈を。」と。

今日もさまざまなことがありました。
眼前の隣人の為に心密かに祈るのが
「こんなに苦しいことなのか」と思わされました。

父なる神さま。どうか私を、
私達を憐れんでください。
そして、主イエス・キリストが
お受けになった凄絶な苦しみと死に
思いを馳せつつ、
今日一日を歩むことができますように。

信仰、そして世事

まもなく、今上陛下が譲位され、皇太子殿下が
践祚される。正式な即位の礼は確か今年の秋だったはず。

先日、教会の話で、天皇の為の祈り、の可否につき
話題があった。私自身の考え、結論から言えば、
憲法に、権威の源泉である私達主権者国民を統合する象徴と定められている方は、間違いなく権威である。
そして権力自体は私達国民が民主的に選んだ代表者たちが行使する。
その代表者たちの現状は惨憺たるものだが。
毎日毎日、憤ることばかりである。

私はこの国、世界で権威、権力を帯びている
あらゆる人々の為に祈る。天皇陛下の為にも、
1日も早く下野して欲しい安倍首相の為にも、
チベット人、ウイグル人を迫害している習近平の為にも。義理の叔父、実の兄を殺し、現在まさに基督者を残虐に迫害、殺戮、殉教に至らしめているという金正恩の為にも。

陛下、また権力者たちがそれぞれの国民に奉仕できるように、と。政治の堕落、権力の恣意的行使、民衆の抑圧、ましてや皇帝ネロやディオクレティアヌスのような所業に至っているなら、彼等が悔い改めに導かれるように、と。

私の思想は保守思想とリベラル思想の混雑である。
政治的には現行憲法を1条から全て守る、との立場である。

近代天皇制により「作られた伝統」が数多くあるのは
僅かながら知っているつもりだ。
3月21日、春分の日が宮中祭祀の「春季皇霊祭」の日であることも。明治になって作られた祭祀である。
あくまで皇室の方々の私的信教であるべき祭祀に伴い、
国民も休みとなっているのだ。

私の属する教会も、難問山積である。
先日日曜日、本当に悲しく辛いことがあった。
信徒の方の支え、力になれなかった。
これからもあるかもしれない。

そして、御高齢の信徒の方には、まさに今、
病と激しく苦闘しておられる方がいる。
主イエス・キリストの「人にはできないことも、神にはできる。」の御言に縋り付く思いで祈っている。

主イエス・キリストは、私の罪全てを十字架で負い給うた。それなのに、一向に聖潔に至れない私。

教会での会議の度に、中国宋代の「伴食宰相」という言葉を思い出す。朝廷の会議ではまともに自分の意見も出せず、席上での御馳走にだけあずかっていた一宰相への皮肉である。

私は弱い。本当に弱い。日々、喜びよりも
憂いと不安ばかりである。

そんな私だからこそ、祈る。
主の御導きと御守り、御慈愛を。

祈りと感謝と 憂いを込めつつ

2018年・平成30年もまもなく終わりを迎えます。
来年は今上陛下の御譲位があり、そして新帝陛下の御代が始まります。

今年はひどい年でした。政治の度し難い腐敗に
多くの天災。東日本大震災の被害者は置き去りにされつつ
五輪だ、万博だ、カジノだと騒がしい限りです。

私自身にとっても酷い年でした。
心身の悪化(糖尿病、強迫性障害、躁鬱病)により、
仕事に通うのがやっと、職場で錯乱しかける所を必死で抑えに抑え
やっと仕事を続けた日もあります。
帰宅の時は足を引き摺るようにしてやっとバスに乗り込み、鞄に入れた
聖書や説教集、或いは漫画で15分ほどの道のりで辛うじて心を慰める。
そんな日の繰り返しでした。

他者への悪念、怨嗟で信仰が危うくなったことが何回も何回もありました。しかしです。
主なる神は、そんな私を今日まで生きながらえさせてくださいました。
両親、妹、教会の兄弟姉妹、職場その他の場の方々が私を支え、励ましてくださいました。
感謝のほかありません。


同時に、私がいつもやりきれなくなることがあります。
寿命による死ではない、「自死」です。

先日、他ならぬ私の築33年の古いマンションから一人の女性が飛び降りて自死しました。
毎日のように「人身事故」と称される、電車への飛び込みによる自死が起きています。


私は、そういった報に接する度に祈ります。その人々の救いを。
自死せざるを得ない迄に苦しみ、追い詰められた人々の救いを。
基督者が彼等彼女等の為に祈らずして、誰が祈るのでしょう。

そして、肉親、「善きサマリア人」たる職場やその他の場の人々、更にこの国、世界で
主イエス・キリストの愛を知らない人々の為にも祈ります。
既にこの世にはいない祖父母、先祖、過去の戦争で無惨に命を奪われた
何千万人もの人々の為にも祈ります。
主が、地上で苦しみと絶望の果てに死んでいった人々の涙を拭い給い、
その深く広い愛で人々を包み込んでくださるように、と。
この地上では主を信じることの無かった人々が、あの世では
真の神なる主を知ることが出来るように、と。

基督者の端くれである私の人生は、「ノン・クリスチャン」である無数の「善きサマリア人」によって
支えられています。日本人の99%です。

私は内村鑑三と同じく、万人救済の希望を抱いています。切実にそのことの実現を
主に祈り求めます。


主イエス・キリストの御恵みの、願わくば凡ての人とともにあらんことを。

秋の週の始めに

8月以来の書き込みとなります。
世の中のことは、嫌なことばかり。
我国の指導層の呆れるばかりの言動は
日々ひどくなり、そんな人々を一定の数の
国民は支持し続けています。

天災に遭った人々は生活の立て直しに苦しみ、
貧困層には重税と生活保護費削減という圧政。

金が無い、無いと言いつつ昔の建艦競争時代を
思わせるように巨大な艦艇が次々と造られ、
米国からは「おんぼろ」呼ばわりされるオスプレイ、
更に「防空システム」を巨額の言い値で買い取っているありさま。
酷暑になるとわかりきっている東京での真夏のオリンピックの為
東日本大震災からの復興に充てるべき資材、資金、労力、時間を
「レガシー」なるものに注ぎ込んでいます。

おかしなことばかりです。

主なる神よ、我等にこの災禍を乗り越える智慧と力と勇気を
賜り給え。


祈りと願い

祈りを捧げます。
天にまします慈しみ深き主イエス・キリストの父なる神さま。
昨日、我国は悲惨な戦争に敗北してから73年目を迎えました。

我国で、そして我国が惨害を齎した諸外国で
余りにも多くの生命が喪われました。

どうか、その人々の苦しみ、絶望、恐怖、涙を御許にて
拭い去ってください。地上に遺された人々の悲しみを癒してください。
そして、生命を落とした人々と地上に遺された人々が御許にて
喜びのうちに再会することができますように。

我国は、私たちは余りにも多くの罪を犯しました。
平和を愛する同国民、そして諸外国の人々に対して。
御前にひれ伏して祈ります。どうか我等の罪をお赦しください。
あらたにあなたに在って平和を愛し、その実現に向けて日々たゆまず尽力する国、国民と
ならしめてください。永久の平和を我等に、この世界に来たらしめてください。
この祈り、主イエス・キリストの聖名を通して御前にお捧げ致します。
アーメン。

矢内原忠雄「田村清君のクリスマス」

家貧にして孝子現はれ、
国乱れて忠臣現はる。
身貧しくして病み
土の器保ち難くして、
恩恵の宝珠光を放ち
福音の力は鮮かである。

北海道登川の奥谷地に住む
日傭稼ぎの子の日傭稼ぎ、
年僅か二十一、結核の
病膏肓に入りて完き処なけれど
救はれし生命五体に溢れ
歓喜の歌は抑へられなかつた。

今日しも待ちに待ちしクリスマスは
登川病院の一室にて開かれる。
雪降り積りて膝を没し
風寒うして膚を刺すが、
心は既に楽しき群に走せ
母に支へられて彼は家を出た。

半里の山路やうやく辿りて
目ざす町の灯眼をよろこばせ
主の名によりて集ふ三、四人の友の
彼を待つ家も手近であつた。
その時早く彼の力は尽きて
崩るる如く雪の中に倒れた。

通行の者急を報じて
馳せつけた父に彼は背負はれ、
親子三人の涙点々と
踏む白雪にあとを残しつつ、
坂を上つて己が小屋に帰り
星を板壁の隙間から仰いだ。

其夜教会堂は美々しく飾り、
紳士淑女又奢れる児等
音楽に劇に花やかであつた。
その騒がしき世俗の音に、
ナザレのイエスは立ち入るに躊躇し
幾つもの門を素通りにした。

而してイエスは雪に埋れし
田村清の側に馳せ寄り、
母よりも早く彼の頸を抱へ
父よりも早く彼を背に負ひ、
しかと彼を守りてその小屋に導き
夜の明くる迄彼と共にあつた。

ベツレヘムの馬小屋に
イエスの生れ給ひし夜輝いた星が
その夜彼の小屋の上に輝いた。
彼の心は平安にみちて天かけり、
力尽きし身にさへ生命溢れて
軽く浮き上るかと思へた。

イエスはおのれを信じたる者の
かく貧と病との中に
生命の勝利を喜ぶを見て、
おのが生れし日を彼と共に祝し
父なる神に感謝し給うた、
かくて平和と栄光彼の小屋に満ちた。

矢内原忠雄『信仰と人生 キリスト者の信仰Ⅶ(岩波書店)より。

汚穢下賤の身にして

実に久しぶりの書き込みになります。
何か月ぶりでしょうか。

「汚穢下賤」。
私の尊敬してやまない矢内原忠雄の聖書講義『イエス伝』に出てくる言葉です。

『イエス伝」では「この汚穢下賤の身が神の子?」という驚愕と感謝が
信徒の口から発せられます。

肉欲、穢れ、悪念。私の毎日はそれらに満ちています。
その全てを公にされたら、私は社会人生活は到底続けられないでしょう。

そのような罪人の首(かしら)ですが、今日、一週間の仕事を終えることができました。
感謝の他ありません。酷暑の中の仕事でした。
自らの力だけでは一日たりとも生きていけません。
だから感謝します。

主なる神の御守り、御導きに。隣人からの助力、支えに。

そのような土曜日の早朝、出勤前に、北朝鮮がまたもミサイル実験を行ったと知りました。
遥か上空3000㎞にまで打ち上げられたミサイルは、奥尻島の沖に落下した、と。

私は、一般人民を虐げながら暴虐、圧制の限りを尽くすかの国の独裁者、
その取り巻き、「絶対随順」する特権階級を、そしてこの日本にあって
陰に陽に北朝鮮を庇う人々を憎まざるを得ません。

しかし、基督者には、このような時こそ、愛と赦しが求められます。

「なんとまだるっこしい!」との叫びが聞こえてきそうです。

そう、他ならぬ私がそう叫んでいるのです。
しかし、この道が、主イエス・キリストが信徒に求め給う道なのです。


北朝鮮のこと

心憂きことである。

残虐な独裁者・金正恩と、恣意のまま動く大統領トランプ。

言わずもがなだが、戦火が起きれば、数多の人間が命を喪う。
我国においても。

私にとっても、自らの生命だけでなく、信仰、非戦主義の試練の時である。

平和な時に非戦主義を叫ぶのは容易いのだ。
戦時に於いてなおそれを貫くのがどれだけ難いことか。

 「いのり」
       矢内原忠雄

主よ、いまだ
御救ひは?
地荒れて
人は叫べり。

西のかた
夕焼す、
主よ、戦を
終らせ給へ。


生命を与えられていること

日々、せわしない。今日も実質12時間労働であった。
8時間労働こそが労働者の基本なのに、と思う。

しかし、それでも今日一日生かされたことには感謝である。
基督者の端くれとして主なる神に感謝である。
矢内原忠雄が自らのことと実感した「汚穢下賤」のこの身が
生かされていること、今日一日の人生を賜ったことに感謝である。

そして、互いに支え合うことの出来た、また、私を支えてくれた隣人たる人々に感謝である。

辛いこと、悲しいこと、惨たらしいこと、醜いことは今日も世に溢れていた。
為政者の言行不一致にはただ苛立ちがつのるばかりである。

しかし、それでも、その中で命を与えられていることには
神と隣人に感謝である。

朝日新聞夕刊連載 「新聞と9条」

またまた更新が長く滞っておりました。

頂いたコメントへのお返事もまだできていません。

今日思ったこと。
朝日新聞夕刊連載の「新聞と9条」。勇気ある記事だと思う。日本人の先の戦争での加害意識の希薄さを衝く。保守化というより過去の正当化が愛国心とされがちな今の時代には中々書けない内容である。

以上、私のツイートからの転載です。

三笠宮崇仁親王殿下、薨去さる

三笠宮崇仁親王殿下、薨去さる。

皇族の一人、昭和天皇の弟宮として、日本現代史の暗部を直視する
勇気をお持ちの方でした。

「若杉参謀」として軍務に就かれましたが、
その中では辛いこと、御自分の信念が揺り動かされることも
多かったかと推察します。

古代オリエント史研究に多大の功績を遺されたことも私達は忘れてはなりません。

御歳百での薨去。

人間はいつかは必ずその生の終わりを迎えますが、
もっと長く生きて頂きたかった。

聖書にも理解のある方でした。

私は一国民として、一人の基督者として、
心から殿下の魂の安息と平安を祈ります。

祈り 終戦記念日を過ぎて

ずっとずっとブログの更新もできず、その間に
世の中では、歴史の変わるような大きな出来事
具体的には陛下の御譲位の御希望表明などがあり
更に先々日は終戦記念日を迎えました。

仕事の多忙と日々の疲労、気力の無さで更新できていません。

ただ、祈りたいのは

先の大戦でのあらゆる戦没者を、そして取り残されてずたずたに傷付いた人々を
主なる神さまが救ってくださるように、癒し、慰めてくださるように、とのことです。

プロテスタント教会では、とりわけカルヴァン系統の改革派教会では
死後のことはすべて神さまの御手のうち、として死者の為の祈りはしていないのが通例です。

しかし、私はどうしても祈らざるを得ないのです。
ある牧師さんは言われました、「祈ってならない祈りなどない」と。
今もそのお言葉が、私を励ましています。

また、明治の基督者植村正久は、死者の為の祈りを重んじたことを、お伝えしておきます。

オバマ米国大統領の広島訪問について 併せて思うこと

米国のオバマ米国大統領が広島を訪ねました。

1945年の原爆投下、数十万人の無差別大量虐殺について
やはり謝罪して欲しかった、というのが率直な思いです。

そして我国も、アジア、太平洋地域において、加害者でありました。
広島に数万人の朝鮮人徴用者がいて、日本人と同じく被爆したのは
侵略の歴史の証の一つです。

吾が日本国も、「判断は歴史に委ねる」などと逃げ口上を言うことなく、
他国民への加害の事実に向き合い、謝るべきは謝るほかないでしょう。

それは極めて苦しいことです。もう過去から逃げ出したい、暗い歴史はもううんざりだ!
と思うことも、この私もしばしばあります。

しかし、事実からは逃避できないのです。

教会の奉仕

日常の仕事で色々辛いことが多いのですが、思いもよらず
数か月前から教会で重要な奉仕をせねばならなくなりました。

私としては荷が重すぎる、というのが真意なのですが、
主から課せられたこととして受け止め、自分なりに奉仕に務めております。

到底自分には無理だ、と思うこともしばしばです。
しかし、それが主の御意志なら従うのみです。

実に今年初の更新となります 「上つ方」の不正蓄財について少し

実に今年初の「享安堂」の更新となります。

実生活でそれなりに忙しい日々を送っています。

苦しみも辛いことも数多くあります。

それでも、今を生かしてくださる主なる神に感謝せずにはいられません。

さて最近、世界では「上つ方」の不正蓄財が暴かれつつあり、いずれ我国にも波及することでしょう。

内村鑑三の『後世への最大遺物』を読みつつ、金を隣人の為に用いることの
難しさ、人間の我欲の深さを思います。

生きていく

日々の仕事に忙殺され、ここを更新すること甚だ少なくなりましたが、この享安山人、生きております。

我国は余りにも大きく様変わりし、憂うべきことばかり積み重なっていく状況です。
防衛費はついに来年5兆円を越えるとか。

昭和のはじめに、時局に触れること少なかった高倉徳太郎牧師が軍事費の増大を憂慮する言葉を「何たることか」と珍しく激しい口調で、教会の説教において遺しています。そのことを今朝の新聞を見て思い起こさざるを得ませんでした。

そんな中で、今日は25日のクリスマス当日を控えての日曜礼拝。多くの教会が今日をクリスマス礼拝日として祝ったことでしょう。

願わくは、「クリスマスなど知ったことか。自分には何の関係もないことだ。」と思う人、今現在、苦しみ、悩んでいる人々、絶望の中にいる人、生死の境にある人にこそ、主なる神の御恵みがありますように。そして苦しみの中、命を喪う人にこそ、神の憐れみが注がれますように。

ここのところ更新が2か月近く滞っていました

ここの所、更新が滞っていました。

仕事での疲労、そして自らの言動、罪に悩むこと多い日々が続いています。
矢内原忠雄は「汚穢下賤」の身がキリストに救われる喜びを
『イエス伝』で説いていますが、そのあふれんばかりの喜びを
なかなか己のものとできない私です。

戦争法案、衆議院を通過 「戦争をすき好む人間なんかいない」は誤りである

日常の疲労からここの更新が滞っていた。

戦争法案が衆議院を通過した。我国が率先して他国の戦争に参加することになる。

最近散見するのが「安倍さんだって何も戦争なんか望んでなんかいませんよ」
「好き好んで戦争を望む人間なんかいやしないんだから」との一種の擁護論である。

大間違いである。歴史を見れば、自分に害が及ばない限りは、戦争を大歓迎する人間は
あふれかえっている。
また、生命への軽視か過剰な自信からか、
自分の命すら軽く見て戦争に積極的に参加する人間もいる。

このことにつき、取り急ぎ社会の片隅からであるが注意を、大いなる注意を促すものである。

先人を偲びつつ 

毎日仕事場へ向かう途中、あるいは帰途、その他休日を利用して
内村鑑三や矢内原忠雄、山室軍平、高倉徳太郎といった先人基督者の著作を読んでいます。

山室軍平は語ります。聖書は食パンで、宗教書や偉人の伝記は菓子パンだ、と。
菓子パンだけではいけないのだと。
また内村鑑三は、宗教書だけ読み、聖書そのものから遠ざかることは危険だと。

そういった先人のすばらしい「菓子パン」だけでなく「食パン」を貪り食わねばなりません。
今読んでいるのが旧約のエぜキエル書。
主なる神の峻厳な審きと、そして深い深い愛。

罪深い、本当に罪深い自分もまた今日生かされました。
感謝です。

世の中は愈々おかしな方向へ向かっていますが、それでも日々を感謝です。
生かされていることに。

付記
罪人のかしらである私ですが、先人や今の知友に学びつつ
彼らに倣って生きていきたい。このひどい、ますますひどくなりつつある世に抗い
自分と同じく弱い者、友無き者の友となりたい。

その為に欠かせないものが平和にほかなりません。

私の中にある差別意識

私自身が、告白せねばならないが、数多の差別意識の持ち主である。
かつては「反日に燃える韓国と北朝鮮」に激しい憤りを抱いたこともある。

隣国から阪神淡路大震災や東日本大震災を良しと言わんばかりの匿名発言があった時や
広島、長崎への原爆投下を「いい気味だ」と言わんばかりの韓国大手紙の記事を読んだ時には
文字通り逆上した。その憤り自体は今も変わらない。

しかし、私が嘗て陥ったのは所謂一般化である。
「韓国・北朝鮮の人間は皆こう思ってるに違いない」
「韓国・北朝鮮の人間だからそう思うのだろう」と考えたのは
基督者の端くれである私にとって、
主なる神の御前に懺悔せねばならぬ過ちである。

差別言動を為す人物が市会議員になって良いのか

わが大阪府枚方市で、市議選に川東大了という元在特会副会長が
なんと立候補してしまい、驚くとともに嘆いております。
ウィキペディアにも項目があるほどの「大物」で
私自身も含めての人間の醜さをそのまま是とし、
それを公言してはばからない人物です。
私が嘗て訪ねた水平社博物館での「街宣」はすさまじい酷さだったようです。

今日、市役所での不在者投票に行ってきて、とある革新系候補に
一票を投じてきました。川東氏とは対極にある思想の持ち主で
且つ金のことでも廉潔な有言実行の人物だと見た為です。

修身斉家治国平天下。以前述べたかもしれませんが
仏のタレーランのような稀にみる天才でもない限り
「自分の周囲にすら信義を保てない人間が、
赤の他人の一般市民のことを慮ることなどあり得ない」
と考えています。かつては「多少汚職しようが私生活が汚かろうが政治家は能力さえあればいい」
と曹操みたいなことを思ったりもしたのですが。

まさか在特会元副会長の当選はあるまいと思いますが
万一のこともありますし、何が起きるかわかりません。

願わくは川東氏が自らの過ちを翻然と悟りますように。

「代償」を払うのは誰なのか? 安保法制に関する与党合意に抗して

最近、書き込みが滞っていた。その間日本も世界も動きに動いている。

仕事の疲労で鬱状態がひどくなり、気力が萎えていたのと、毎日毎日が仕事のため
世事どころではない、という心情になっていたのがおもな理由なのだが、
歴史書をひもといているうちにはたと気付いたことがある。

「往時の人々も同じだったのではないか」と。
我国にせよドイツにせよ、平和を愛する心から国の行末を案じていた人はごまんといたであろう。
そういう人たちが声を上げられなかったのは、現在とは比較にならぬ過酷な言論統制、弾圧だけでなく
「日々の生業におわれて疲れていたからではないのか」と。

「今の世の中は明らかにおかしい。しかし、自分の生業のためそれどころではないんだ」と。

先人たちを思う。

矢内原忠雄「こういう時代に我々が時局問題について黙ってしまうのはいけない、やろうじゃあないか」

今日の朝日新聞に「自衛隊 海外活動を拡大」と題して安保法制に関する自公合意の記事があった。

オピニオン欄には賛成、反対双方の立場から学識者の意見が載っている。

諸手を挙げて賛成とおぼしき拓大教授は言う。
「代償覚悟を」と。

代償とは何ぞや。曰く

「派遣先で民間人を誤射するとか、逆に自衛隊が犠牲になるとか。」

「しかし、本当に国際社会の一員となるためにこれは覚悟しなくてはならない試練」


「誤射」で命を奪われる異国の民間人。「任務」で落命する自衛官。

天上天下で一つしかない個々人の生命と尊厳をなんだと思っているのか!!!
しかも、自らはおそらく確実に命を喪う危険性のない学者がかかる言葉を発する!

禍いなるかな!禍いなるかな!

また「九段の御社」に「護国の神」を祀るのだろうか?

平和国家日本を完全に無に帰する自衛隊の海外派兵大拡大に私は反対する。

そして、今日は敢えて一部の読者に強い反感を抱かれることを述べたい。
公明党は、平和主義の政党ではなかったのか?

内村鑑三も矢内原忠雄も日本の偉人の一人に日蓮を挙げた。
いかなる「法難」に遭っても屈することなく信念を語った日蓮だが
公明党は結局その継承者にはなれなかったということだろう。

これは基督者についての御言を踏まえてのものだが
「地の塩」たることをやめた基督者、基督教会は却って世俗の権力と人々に
侮蔑され踏みつけにされて消えていくだけである。

公明党≒創価学会についても同じ事が言えるであろう。

祈ります。
主よ、罪人の頭である享安山人ですが、祈らせてください。
どうかこの世とここに生きる人々に永き平和を賜りますように。


菅野マナミさん作『ひまわりさん』第5集

最近とにかく疲れているのですが、そんな私に癒しをもたらしてくれる良作の漫画を紹介します。

菅野マナミさん作『ひまわりさん』第5集(メディアファクトリー)です。

主人公といえる女子高校生まつりと、
彼女が慕ってやまない、とある書店の若き女性店主「ひまわりさん」の交流を中心に描いていく作品です。

登場人物皆に、相手を思いやる優しい気持ちがあり、それが温かな展開を生み出しています。
どの話も温かさと共にほんの少しだけ哀感も混じっています。

私が今回とりわけ好きだったのは、第5集最後のお話でした。

写真家になる夢を抱きつつ、夢を実現できなかった女性、あやめさんと
「ひまわりさん」の心の触れ合いを描いたものです。

物語だけでなく、丁寧で綺麗な絵も魅力となっています。

書店には余り数を置いていないようですが、興味を持たれた方は是非ご一読ください。

私の属する教会を建ててくださった牧師先生の言葉

「わたしたちは隣人の罪・自分に対して与えている隣人の損傷・罪過を見る時、自分の受けている莫大な罪の赦しを見るべきであります。(マタイ18章22節ー34節)」

わたしの属する日本キリスト教会K教会を開拓伝道で建ててくださった牧師先生の言葉。その御葬儀の日に。

暴ぶるものはびこるいまの時代にあひて幼なき子らは何おもはざらむか

先日古書店で南原繁の歌集『形相』(岩波文庫)を入手した。
南原は内村鑑三の弟子にして戦後民主主義の基礎を作った一人。

表題の歌は2.26事件で青年将校らに死刑判決が下った際に詠まれたもの。

スペイン動乱を受けての歌。

「ひとつ国の民らたがひに敵となり戦はねばならぬものありといはむか」


1936年(昭和11年)師走の歌。

「言にいでて民らいはずなりぬるとき一国の政治のいかにあると思ふや」

「次年度の予算三十億を突破すといふ我等いよいよ貧しく生きむ」

友人・矢内原忠雄教授の辞職を受けて。
「Y君の辞職決まりし朝はあけて葬りのごとく集ひゐたりき」

人の生命が軽く軽く扱われる今。
そして凶事を奇貨として海外派兵を進めようとする為政者。

何より「自己責任論」に押し流されそうになる己であると告白せねばならない。

主よ、憐れみを。あらゆる人々に。

新年となりました  一人ひとりの尊厳を守っていく世の中に

2015年、平成27年となりました。

私自身どのような一年になるかわかりません。希望していることはあるのですが。

日本国の行方は厳しいでしょう。恩恵をこうむる人もいるでしょうが
個々人の尊厳は国家主義的なもの、利益第一主義のものに
絡めとられていく世の中になるかもしれません。

それでも、希望を棄てることなく。

クリスマス 主は私たちの為に御降誕になり、そして苦しまれた

すでに27日になってしまいましたが、
基督者の端くれの私としては忘れられないクリスマスがやってきました。

仕事で多忙のため、連日疲労していた私が思うのは

主は大工であらせられた。一番弟子のペテロは漁師だった。
福音を宣べ伝えた使徒パウロは天幕職人だったということ。

最初に主の御降誕を知らされた羊飼いたちは、当時の古代ユダヤ社会では
最底辺の階層の人々だったそうです。

クリスマスなど知ったことか、関係ない、喜びなんかとは無縁だ。
そういう人々の為にこそ、主イエス・キリストは御降誕になりました。
今苦しんでいる人々、悩む人々、絶望の淵にある人々こそ
主にある喜びを知ってほしいのです。

主はあなたの苦しみを御存知です。

また罪深い悦楽に酔い痴れる人々の為にも、であります。
主は私たちの一切の罪を担って十字架上で死に就き給うた御方です。

主の御恵みが、ここを御覧の方々の上にありますように。
そして願わくはすべての人の上に。

一般参賀

病床の親戚の見舞いに行ってきた両親が23日の皇居一般参賀に。

父の話。今までは余り意識したことがなかったが、陛下のお姿を見て静かな感動を覚えた、と。

何もかもが混濁の中にある今の日本で、ひたむきに御公務にいそしまれ
国家国民の為に尽くされる両陛下がどれだけの励ましを与えてくれることか!

陛下が他国との友好を強調され「近隣諸国」に言及されたことに
思わず襟を正したのは私だけではないでしょう。

どうかこれからもお健やかに。

多忙な日々が続き

連日連夜疲れております。
最近仕事が多忙です。

陛下の誕生日にも、
主イエス・キリスト御降誕の佳き日にも
何も書きこむことができませんでした。


いずれまた思うことを記したいと思います。

国政選挙

14日・日曜日の総選挙。あくまで信念に則って投票すべきか
自分の票を死票にしてはならないと「戦略的選択」をすべきか
いずれが主の御心にかなう行動なのか考えています。

平和主義を重んじる立場から、現与党支持の選択だけはできません。

真剣な言葉を紡ぎ出したい

真剣な言葉を紡ぎ出したい。絞り出したい。
言葉が軽んじられる世だからこそ。

「私共は・・・唯世の救の為にのみ生き存らへて居る。其の以外に私共の生存の意義はない。」 山室軍平を読んで

明治から活躍した基督者の先人たちから学ぶこと多く、それでいて続くことのできないわたしだが
今日は教会の修養会とともに、行き帰りの車中で読んだ救世軍の山室軍平中将著『信仰の実践と修養』に
自らの信仰のあり方、日々の生き方を問われることが多かった。

「私共は・・・唯世の救の為にのみ生き存らへて居る。其の以外に私共の生存の意義はない。」 

「其の以外に私共の生存の意義はない。」
一見悲観的に見える山室中将の言葉だが、これ程積極的な生存の意義はないのだ。

主よ、汚穢下賤の我を何卒用い給え。

昂揚した感情は落ち込むことがある。それが宗教的なものであっても。
しかし、神から賜る信仰は、その個々人の時々の心情がどんなに落ち込もうが
揺らぐことはない。

わが大阪で 橋下市長と在特会会長の「面談」

大阪市の橋下市長と在特会会長の「面談」をようやく動画で見ることができた。
不毛な罵声の応酬。しかし在特会に対しては「論外だ」と切って捨てるのではなく
こういう言説がそれなりの支持を得ていることを問題にすべきだろう。
人権、個々人の尊厳の重みがまだまだわたしたちはわかっていない。

今日、教会でわたしの隣に座ってともに礼拝したのは在日韓国人の主婦だった。
日本語で語られる説教を聴きながら、韓国語訳聖書を読み進めておられた。
字義通りの隣人なのである。

以前、祈祷会で旧約聖書『出エジプト記』の箇所を韓国語で音読されたこともある方。
信仰は国境を超える、と言っておられた。
韓国では出エジプト記にある古代イスラエル人の苦難を、植民地時代の苦難に
重ね合わせることも多いと聞く。

橋下市長の言葉も粗野そのものだったが、「民族をひとくくりにするな」と
繰り返し述べたことは素直に評価したい。ほかの言動はともかく。

将基面貴巳『言論抑圧―矢内原事件の構図』(中公新書)の紹介

将基面貴巳『言論抑圧―矢内原事件の構図』(中公新書)を読了。わたしの尊敬してやまない矢内原忠雄の、東京帝大教授辞職事件を矢内原だけでなく、対立派の土方教授や、事態収拾を図った長与総長などの視点も含めて描いた労作。矢内原の抱く愛国心のあり方が現代でも議論を豊かにする上で有益と説く。

国家を超えた正義と理想があり、現実の国家が正義や理想に反する場合は、国民は国家を批判しつつ現実を少しでも理想に近づける努力をせねばならないと説く矢内原の姿勢は、軍国主義にひたすら追随する土方成美や国体を信仰対象として国家への批判を「侮日」として排撃する蓑田胸喜と鮮やかな対照を見せる。わたしは無力な人間に過ぎないが、矢内原に深い共感を抱く。土方や蓑田のミニチュア的存在が大手をふるうようになった今だからこそ。

現実の国家が内外の人々の尊厳を蹂躙する例は余りにも多い。

そして告白するが、書中引用されている矢内原日記の一節に、
思わず声をあげて泣き出しそうになった。
無教会主義ではないが、基督者の端くれとして。

休息を望む。慰めを望む。そしてなお、苦難と困難ばかりを抱えるのだ。私は弱い。―しかし私は神に捕らえられているのだ。ああ、これ以外ではありえないのだ。

あれだけ激烈に戦われた矢内原忠雄先生が内心ではこれ程苦しんでおられた。
そしてなお、この苦しみを乗り越えて戦われたのである。

懦弱なるわたし・享安山人の情けなさ!わたしの苦しみなどいったい何なのだろうか。

著者に深く感謝します。

そして基督者の端くれとして、このような労作にめぐり合わせてくださった
主なる神に心から感謝します。

吉田清治証言の虚偽性は即ち従軍慰安婦問題=虚偽となるのか

我が家の購読紙である朝日新聞の誤報問題でメディアでは
朝日新聞への強烈な批判が起きていますが
吉田清治証言の虚偽性は歴史学者・秦郁彦氏の検証ですでに
「常識」になっていたと思っておりました。
今になって吉田清治は嘘付きだから
慰安婦問題などなかったという主張があふれていることを危惧しています。

問題はそこからであって、吉田証言=虚偽であることは、
従軍慰安婦問題=虚偽になるのか?

京都大学の永井和教授の論考を信じるならば、
旧軍や内務省の手段はかなり手のこんだもので
結論から言えば、民間業者に「汚れ役」を委ねることで
大日本帝国の体裁さえ取り繕うことができれば、
日本人であれ朝鮮人であれ台湾人であれ中国人であれ
「本人の合意」は重要な問題でなかった、
というのが当時の官憲の姿勢であった、というものでした。

わたしの尊敬する基督者の一人に
廃娼運動に生涯を懸けた救世軍の山室軍平中将がいます。
必要悪とされる売春業が実際はどれだけ女性を蹂躙しているかを
その仕組みの悪魔的な狡猾さを深い信仰から見据えて
廃娼を叫んだ、女性の人権という点での先見者でした。
女性に貞操を求めるとともに、女性に貞操を求める以上
男子の節操も重んじねばならぬという点で
良い意味で古風な男女平等主義者でもありました。
そういう視点がわが大阪の橋下市長などには
完全に欠落していたなと今更ながら思っております。

個々人に侵すべからざる尊厳があるということを抜きにして民主主義は成り立ちません。

『昭和天皇実録』

既に報じられているように、『昭和天皇実録』の編纂が終わり、
天皇皇后両陛下に奉呈された。

新聞報道に接しただけで、実物を目にしたわけではないが、
幾つか指摘したいことを。

21世紀の史書であるならば、昭和天皇のご発言は典拠を明記して括弧つきで
引用すべきであろう。『実録』で、昭和天皇のご発言ほぼすべてが
整えられた文章の中に埋没してしまい本来のご意思が
たどりにくくなっていることは重大な過ちであろう。

中国歴代王朝では、皇帝に「起居郎」と呼ばれる史官が近侍して
皇帝の日々の言動を細大漏らさず記録し、「起居注」という皇帝言行録に
まとめあげる役割を果たしていたという。その「起居注」を史料の一つにして
皇帝が崩御すると先帝の「実録」が編纂される。

歴代皇帝の起居注や実録には散逸したものが多いが、
『旧唐書』『宋史』といった正史編纂の際に用いられた。
史書に見える皇帝たちのありのままの姿は現代のわたし達にも貴重な教訓を与えてくれる。
そのようなものを今回の『実録』には願っていたのだが。

昭和の陛下には、わたしは極めて複雑な思いを抱く。
深い敬愛の念と、戦争の惨禍についての罪責の重みへのやり切れない思い、
そしてどれだけ苦しまれたかとの想像しての痛みの心。

立憲君主としては無答責であられても、天子として数多の内外の人々の人生に対する
責めはおありであろう。それを陛下ご自身が痛感しておられたとわたしは信じている。
わたしは昭和の陛下のためにも祈りたい。

わたしの教会の長老であられたある大学名誉教授が
昭和天皇の戦争責任を否定するわたしに言われた言葉を今でも思い出す。
その方は既に天に召された。

「天皇に責任はあるんだよ。たとえ戦争を望んでいなくても、責任はあるんだ。」


『実録』はやがて出版社が決まり公刊されるという。
12000頁という膨大な分量だが、できれば全巻購読して読破したい。

佐々木ミノルさん『中卒労働者から始める高校生活』(日本文芸社)

久しぶりに漫画の紹介を。

佐々木ミノルさん『中卒労働者から始める高校生活』が、苦しみの中あがく人間に光をあてていて素晴らしいです。中学校を卒業して妹の生活を支えるため就職した主人公。露骨な学歴差別と貧困に苦しみます。そんな彼が通信制高校を通じて美しい「お嬢様」と巡り合います。「お嬢様」も心に苦悩を抱えていて・・・。

生活苦がどれだけ人を荒ませるか。そしてその荒みから立ち上がる人間の雄々しさ。性的なきつい描写もありますが、お薦めします。

先住民族たるアイヌ民族の尊厳

札幌市議会の自民党所属・金子快之議員が次のような暴言を吐いたことで
話題になっていることはご存知の方も多いと思う。

「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません。」

先住民族を「いまはもういない」と百科事典の一項目で断言し、
一つの民族について「利権を行使しまくっている」と断じてはばからない愚かしい言葉。
多数派の「和人」に向けて「アイヌ民族の扱いは逆差別だ」との反感を煽る趣旨であること、言を俟たない。

旧皇族末裔の竹田恒泰氏が同様の暴言を「在特会」について述べ
「在特会はいいこともした」と愚かしい言葉を吐いたが、同類であろう。

明らかな差別だが、当人には撤回の意志もなく、自民党も咎めないらしい。
情けない限りだ。

札幌市の円山には「北海道総鎮守」としての北海道神宮があるが
同じ多神教のアイヌの神々は境内に祀られていない。徹底した同化政策がその根底にあった。

嘗て11年間北海道に暮らしたわたしは、わたしたち「和人」が
先住民族の山河を原状回復不可能なまでに
収奪した歴史は僅かなりとも知っているつもりである。

往時を取り戻すことができない以上、せめて先住民族の尊厳を守ることは
「和人」の務めではないのか。

嘗ての北海道民の一人として憤りを込めて記す。

付記
自民党会派が野党の抗議を受けて一転、撤回と謝罪を求めているらしい。
抗議がなければなあなあで済ませて動こうともしなかった与党会派。

「一人の尊い生命をこそ助けねばならぬ。・・・日本が個人の生命をあまりに簡単に粗末に取り扱ったから、こんなみじめな目にあったのではないか。」

我国が先の大戦で敗北してから69年目を迎えた。

今日、永井隆『長崎の鐘』を読み終えた。天を仰いでさけびたくなるむごたらしい原爆の惨禍。
自らも最愛の家族を喪う中、医師として一人でも多くの生命を救わんとする永井博士。
深いカトリック信仰がその支えとなった。

「戦争文学を寝ころんで読んでおれば美しく、勇しくて、
俺も一つ出てみようかという気になりますがね。
実際は違います。」

「人類よ、戦争を計画してくれるな。」

「浦上人は灰の中に伏して神に祈る。
ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえと。」

主よ、我国が、わたしたちが与えた苦しみを、与えられた苦しみを癒し給え。
命を奪われた人々、身体を、心をずたずたにされた人々に
あなたにある永遠の安息を、癒しを賜らんことを。
わたしたちの罪に赦しを、隣人との和解をもたらし給え。

«反差別運動 「死ね」ではなく悔い改めと和解を

2019年4月
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